米PBS・Uncommon KnowledgeでのTV討論

収録/2005年1月14日
ゲスト/
Massimo Pigliucci――ニューヨーク州立大学教授(生態学・進化論)
Jonathan Wells――ディスカヴァリー・インスティテュート上級研究員
司会/Peter Robinson

 ピーター・ロビンソン:Uncommon Knowledgeへようこそ。私はピーター・ロビンソンです。今日の話題は科学、懐疑論、そして進化論をめぐる論争です。昨年10月、ペンシルヴェニア州ドーヴァーの教育委員会が、高校の生物学教師に、次のように説明して進化論の授業を始めるように通告しました:「ダーウィン進化論は理論であって事実ではない。この理論には欠陥(gaps)が存在する。」進化論に対する代替案として、教育委員会は、地上の生命がランダムに発達してきたということはあり得ないとする理論であるインテリジェント・デザインを教えるように勧告しました。そこで、進化論にはその信頼性をくつがえすような欠陥があるのでしょうか? この新しいインテリジェント・デザインという理論をどう考えたらいいのでしょうか? そして地上の生命の発達について学校生徒にはどう教えたらいいのでしょうか?
 きょうおいで願っているのは、二人のゲスト。ジョナサン・ウエルズ氏は生物学者で、「ディスカヴァリー・インスティテュート」の「センター・フォー・サイエンス・アンド・カルチャー」上級研究員、マッシモ・ピグリウッチ氏は、ストーニーブルックのニューヨーク州立大学の生命科学教授です。

 タイトル:進化のデザイン

 ピーター・ロビンソン:この冬に、ACLU(American Civil Liberties Union米国自由人権協会)と「政教分離を支持する米国人連合」(Americans United for Separation of Church and State)が、生物学教師にインテリジェント・デザインとして知られる代替理論――進化論の代替理論――を教えるように要求する可決をしたペンシルヴェニア州ドーヴァーの教育委員会を相手取って訴訟を起こしました。これに対して、公益法律事務所である「トマス・モア法律センター」所長のリチャード・トムソンは、「それは学生に進化論の欠陥や問題を気づかせるということだ。それに何の問題があるのか?」と言いました。マッシモ、何が悪いんですか?

 マッシモ・ピグリウッチ:インテリジェント・デザインは科学理論ではないという事実を除いて、何も問題はありませんよ。

 ピーター・ロビンソン:ジョナサンは?

 ジョナサン・ウエルズ:私はインテリジェント・デザインは科学理論だと思っています。ただ、これはまだ新しすぎるから、学校で生徒に学ぶことを要求しようとは思いません。

 ピーター・ロビンソン:しかし、少なくとも、この彼の言葉で言う「進化論の欠陥と問題を学生に気付かせる」ことについてはいかがです?

 ジョナサン・ウエルズ:それは当然ですよ。

 ピーター・ロビンソン:当然ね。よろしい。では少しばかり――まあテレビで可能な限り――言葉の定義をしようと思います。進化という言葉はいろんな違った意味に使われます。とりあえずこのプログラム、この討論のために、進化をどう定義しますか?

 ジョナサン・ウエルズ:そうですね、私は現代の考え方に変形されたダーウィンの進化論と定義したいですね。しかしダーウィンはこれを「変化を伴う血統」(descent with modification)と呼びました。これには二面があります。一つは、共通の先祖から下ったすべての生物の共有先祖というものです。もう一つの面は、変化(変形)ということで、これはダーウィンにとっては第一に、ランダムな多様化に働きかける自然選択によって起こるものです。

 ピーター・ロビンソン:ランダムな多様化――よろしい。共有先祖と、それからランダムな多様化に対する自然選択ということですね。それで十分な…?

 マッシモ・ピグリウッチ:大体のところは当たっています。現代版はその変化の部分に、いくつかのメカニズムが付け加わります。それで我々は――現代進化論は、現在、自然選択だけでなく、変化に貢献する他の一連の発生的・遺伝的メカニズムを受け入れています。しかしそれでもやはり、現代の生物学者は、自然選択が適応を創り出すことのできる唯一の知られたメカニズム、すなわち環境との間に――生命体と環境との間に――適合性(a fit)を創り出すことのできるメカニズムと考えている、と言うべきでしょう。

 ピーター・ロビンソン:OK、そこでまだ議論には入らないで――それはもう少し後にして――まずインテリジェント・デザインの作業的な定義をしていただけますか?

 ジョナサン・ウエルズ:インテリジェント・デザイン理論は、生命体のある特性を含めて宇宙のある特性は、多様化とか自然選択といった方向をもたない自然的原因よりも、知的原因によって最もうまく説明されると主張するものです。

 ピーター・ロビンソン:だから純然たるランダムに対して、ある意味の目的や意志が…

 マッシモ・ピグリウッチ:それはちょっと――口をはさんですみませんが、それは直ちにはっきりしておかなければならない間違った二分法ですよ。選択の一方、私の考えでは――それは純粋のランダムではありませんよ。なぜなら自然選択による進化理論は、つい今しがたジョナサンが指摘したように、たとえば遺伝子の変異を通じて多様な変化が起こるというランダムの要素をもっているのだから。そうでなくノン・ランダムの要素を持っているのですよ。自然選択はランダムなプロセスではありません。それは生命体間の目的――環境で得られるものを自分のために利用する(exploit)ための競争の結果であって、それは全くランダムではありません。だから現代の進化論について語るときには、ノン・ランダムという要素があるのです。

 ピーター・ロビンソン:ランダムでないというね。

 マッシモ・ピグリウッチ:もちろんそれは意識的なものではありませんがね。

 ピーター・ロビンソン:よろしい、よろしい、よろしい。そうでしょう。だから――私が求めているのは、はっきりとした…

 ジョナサン・ウエルズ:同感です。同感です

 ピーター・ロビンソン:はっきりとした区別なんです。インテリジェント・デザインを理解するはっきりした方法です。

 ジョナサン・ウエルズ:いや、ですから私は方向を持たない自然的原因と言ったのです。ノン・ランダムな要素があることは確かです。しかしダーウィン理論では、それでもなおそれは方向のないものです。目的というものが含まれてはいません。

 マッシモ・ピグリウッチ:目的や意――意識はありません。

 ピーター・ロビンソン:インテリジェント・デザインは、何を必ずしも要求しないというのですか? 日曜日に教会へ行けば、それは神と呼ばれているわけですが。

 ジョナサン・ウエルズ:それ正確です。要求しません。

 ピーター・ロビンソン:要求しない。

 ジョナサン・ウエルズ:インテリジェント・デザインの仕事は、ただ証拠から、ある特性がデザインされたものか否かを推論することです。

 ピーター・ロビンソン:進化論に問題ありと言われているいくつかの点について、現実的な問題から始めて考えてみましょう。

 タイトル:最も弱い(欠けた)鎖の輪

 ピーター・ロビンソン:もし実際にすべての生物が一つの、あるいはわずかの共通の先祖から出た子孫であるならば、私の理解するところでは、化石記録が一本の樹のように――共通の幹から枝分かれしているように見えるだろうと予想するところです。しかし実際に化石記録として得られるものは、いわゆるカンブリア爆発におけるように、多少とも突然出現したように見える沢山の生物です。正しいですか? 私の言い方でいいですか。そしてそれが問題だといっていいですか?

 マッシモ・ピグリウッチ:必ずしもそうでない。

 ピーター・ロビンソン:あなたがコメントして、次にあなたがコメントしてください。ジョナサン?

 ジョナサン・ウエルズ:まあ、今言われたのでかなり正確に問題を捉えていると思います。ダーウィン自身、枝分かれする樹のモデルが彼の理論から来る帰結だと考えていました。ところが化石の記録を見ると、その枝分かれする樹のパタンは見えてきません。それでこのパタンと証拠の間には矛盾があるわけです。

 ピーター・ロビンソン:マッシモ?

 マッシモ・ピグリウッチ:私はそうは思わない――少なくとも厳密に言って矛盾(discrepancy)ではない――それはインテリジェント・デザイン論者が考えたがる矛盾です。そもそも我々には、生命の起源まで遡っていけば、一つの共通の先祖がいたのか沢山の共通の先祖がいたのかわかりません。それは議論のあるところであり、現代の進化論の重要な要素ではありません。それはどちらの方向にも働くでしょう。それに我々はダーウィン自身よりもう少し先まで行かねばなない。なぜなら科学というものは進化し進歩するというすばらしい特性を持っていますからね。そいうわけで、現代物理学者がニュートンの言ったことに縛られる必要を感じないように、現代の生物学者はダーウィンのことを、従わねばならぬバイブルか何かのようには思っていないのです。

 ピーター・ロビンソン:そうですか?

 マッシモ・ピグリウッチ:現代の進化論は一般的に、枝分かれしていくパタンを予言するもので、それは時間がたてばたつほど、より多くの生物がいろんなメカニズムによって、互いに分かれていくということです。それが大体において我々の見るところです。ここで問題は、今日我々の見る莫大なグループの生物や動物の起源において、前カンブリア紀を遡って何が起こったのかということです。だから我々は5億年以上も前のことを話しているわけで、我々には何が起こったかについて、ほとんど分かっていません。我々は…

 ピーター・ロビンソン:ほとんど分かっていないのですか?

 マッシモ・ピグリウッチ:ほとんど分かっていないのは、ただ調べるべき化石記録がほとんどないからです。

 ピーター・ロビンソン:カンブリア紀に突然大量の化石記録があり、それ以前に遡ると途絶えてしまうことの特別な意味は何ですか?

 マッシモ・ピグリウッチ:二つあります。まず一つは、それがそれほど突然ではなかったということ。それは現実には3千万年から5千万年つづいた突然の爆発で、それは短い時間ではありません。もちろん、地上の生命の全スパンを考えれば短いですが、起こったことは短い――突然のことではありません。もう一つは、その時期に起こったであろうことの一つとして、化石になりにくい形態の間の移行があったのではないか、それはもっとたやすく化石化する形態に比べて固い部分を持っていなかったからではないか、ということがあります。

 ピーター・ロビンソン:骨や殻のためですね?

 マッシモ・ピグリウッチ:骨や殻やそういった類いのもののためです。ですから…

 ジョナサン・ウエルズ:ちょっといいですか。私は三つのことを手短に述べたいと思います。一つは、ダーウィン理論を批判するのに、人はインテリジェント・デザイン論者になる必要は別にないということです。必要なのは、ただ科学者であること、そして証拠をよく見てそれを理論と比べてみることです。二つ目は、カンブリア爆発というのは地質学的に言って全く突然のものであったと私は考えます。フットボールのフィールドを端から端まで歩くと考えてください。それはちょうど、80ヤードのラインのほとんどが単細胞生物のままであり、そしてほんの一歩の間に、動物の主たる種類が比較的突如として現れるようなものです。

 ピーター・ロビンソン:ちょっと聞きたい――そこが問題なので――スムーズな移り変わりでないということですね、つまり進化論の立場に立って掘りつづけて、それをスムーズにきちんと確認したいと思っても、期待どおりにいかないということですね? そうですね?

 ジョナサン・ウエルズ:ダーウィンが期待したようではないということです。

 ピーター・ロビンソン:しかしそれは致命的な問題ではないということですか?

 ジョナサン・ウエルズ:ダーウィン進化論のような大雑把な理論に対して致命的な問題などというものがあるどうか分かりません。だから私はそれを致命的な問題と言わず、深刻な問題と言いましょう、ダーウィン自身が言ったようにね。

 ピーター・ロビンソン:OK

 ジョナサン・ウエルズ:そして三つ目に言いたいことがあるのですが。

 ピーター・ロビンソン:はいどうぞ、言ってください。

 ジョナサン・ウエルズ:手短に言いますが、私はダーウィ――カンブリア爆発が骨格や硬い部分が現れたことによって説明できるとは思いません。何と言っても、カンブリア爆発のときの動物の3分の2はそういったものを持っていなかったのだから。しかもそれ以前の化石記録に、(咳払い)ごめんなさい、沢山の柔らかい体の動物が見つかるのです。だからカンブリア爆発を起こしたのは突然の骨格の出現ではなかったのです。

 マッシモ・ピグリウッチ:それは当たっている、しかし前カンブリア紀の前――カンブリア紀の前にいた動物は、現実に、それ以後にやってきた動物と系統発生的な関係があります。

 ピーター・ロビンソン:次に現実的な…

 マッシモ・ピグリウッチ:先へ進む前に一つ言っておきたいことがあるのですが、それは科学においては、本当の代替学説というものは、提案することで――いいですか、科学はよりよい学説とよりよい説明を提案することによって動いていくものです。何かが間違っている、だからそれだけのものだ、といったものではないでしょう。そこで立ち止まらなければならない。ですから問題は、代替案がどういうものかということです。そこでジョナサンに尋ねたいことは、果たして彼が…

 ピーター・ロビンソン:いえ、いえ、いえ、代替案は後からきます。代替案は後からきます。

 マッシモ・ピグリウッチ:今私が話そうとしているのはカンブリア爆発に限定されたことです。

 ピーター・ロビンソン:よろしい。続けてください。

 マッシモ・ピグリウッチ:もし彼が、現代のダーウィン――新ダーウィン理論はカンブリア爆発に対する十分な説明ができないと考えているのなら、だからしてインテリジェント・デザインがやってきたと――デザイナーが6億5千万年前に地上にやってきて、動物たちをそこに置いていったと考えるわけですか?

 ジョナサン・ウエルズ:そこですが、マッシモ、私は既存の理論を批判するのによりよい理論が必要だという、あなたの考えには同意しません。例えばもし…

 マッシモ・ピグリウッチ:科学というものはそういうものでしょう。

 ジョナサン・ウエルズ:必ずしもそうではない。

 マッシモ・ピグリウッチ:別の例をあげてください。

 ピーター・ロビンソン:それはですね、別々の二つの段階が確かにあるでしょう。第一段階は、ちょっと待て、ここには問題があるぞ、と言うことです。そしてそれを言った人は、もしそれが正しければ誉められるべきでしょう。なぜならその場合には、よりよい理論を見出すことになる第二段階へと道を開くことになるからです。しかし、この二つが一つになっていなければならないとは言えない――それは言えないでしょう。批判と解決を同時にもつことはできない。でないと、あまりにも大きな重荷を人々にかけることになる。科学の問題として、ということです…

 マッシモ・ピグリウッチ:科学哲学者たちは、科学は競争する理論によって現実に機能するものだということを示してきました。誰かが立ち上がって、ここがおかしいからこれでもうこれはおしまいだ、といったふうには科学は働かないのです。

 ピーター・ロビンソン:いえ、ここがおかしいと言った人は、一段階進んで、君の言ったことは正しかった、ここに解決の方法がある、と言う人を刺激したことになるのです。

 マッシモ・ピグリウッチ:よろしい。

 ピーター・ロビンソン:さて、では原理的な問題について進化論に対する反対意見に移りましょう。

 タイトル:馬の前に荷車をつなぐ

 ピーター・ロビンソン:マイケル・ビーヒーと彼の「還元不能の複雑性」という考えについてです。ビーヒーはこれを単純なネズミ捕り器にたとえています。ネズミ取り器は数個の部品からなっています。もしそれが一つでも欠ければこのものは機能しません。同様に、分子レベルで生ずるとても多くの機能、例えば光をとらえる生化学機能は、それぞれが高度に専門化された多くの異なった分子間の、全体的につながった複雑な相互作用を必要とします。そしてここでの考え方は、生命体に光を感知させるのに必要な分子のコンビネーションは、単に行き当たりばったりに、あるいは少しずつ、というようには組み立てられないということです。構造物全体が一気に生じなければならない、そうでなければ適応の利点はないということです。これは原理的に、進化の深刻な問題ではないのでしょうか? ジョナサン、ビーヒーは何か大事なことを発見したのではないですか?

 ジョナサン・ウエルズ:まあそれはダーウィンも、原理的には問題だと考えていました。彼が言ったのは…

 ピーター・ロビンソン:彼は自分で分かっていたのですか?

 ジョナサン・ウエルズ:彼はその特定の例を知っていたわけではありませんが、一つの特性について、どんな例でもよいが、わずかの連続的な変化によって形成されたのでないものが見つかれば、それは彼の理論にとって致命的な打撃になるだろうと言いました。ところでビーヒー――マイケル・ビーヒーは、そういう例をいくつかを発見したと言っているわけです。それらの例は今、科学の文献の中で盛んに議論されています。

 ピーター・ロビンソン:あなた自身のお考えはどうです? 納得できますか? 疑問の余地ありということか、それとも原理的に彼は何か重要なことを発見したのですか?
 ジョナサン・ウエルズ:私は原理的に、彼は重要なことを発見したと思っています。どんな特定の例でも、科学的な吟味に耐えられるかどうかという問題は残ります。しかし原理的には、一つの問題がここに提起されました。

 ピーター・ロビンソン:あなたは全くこれは買わないのでしょうね。

 マッシモ・ピグリウッチ:その通り――まず第一に、私の読んだ限り、マイケル・ビーヒーのこの本にあるどんな例についても科学的な議論がないのです。それだけではなく、還元不能の複雑性という観念そのものが、現に科学哲学の観点から嘘の仮面をはがされています。あなたが指摘したビーヒーのあの主要な例、または比喩、何でしたか――あれに戻りましょう。

 ピーター・ロビンソン:ネズミ捕りですか?

 マッシモ・ピグリウッチ:ネズミ捕り。

 ピーター・ロビンソン:わかりました。

 マッシモ・ピグリウッチ:あれについては明らかな間違いが二つあります。

 ピーター・ロビンソン:よろしい。これは私が現実に理解できると思っているものだから結構です。どうぞ続けてください。

 マッシモ・ピグリウッチ:よろしい。明らかに間違いがある二つあるというのは、あのメタ――まず第一に、ネズミ捕りのケースで、知的にデザインされたと言っているものです。

 ピーター・ロビンソン:その通り。

 マッシモ・ピグリウッチ:だから、これこそまさに哲学で言う「先取り論法」(begging the question) というものですよ。つまりこういうことです。いわば最初に仮定がある――つまりデザインがあると、すでに分かっている例をあなたは研究しているのです。だから当然、あなたはデザインがあるという結論を出すことになります。それはアナロジーとしてあまり役に立たない例ですよ。なぜなら進化生物学の場合には、いかにしてデザインのようにみえるもの、つまり、いかにして生物と環境との適合が生ずるか、ということを理解しようとしているからです。もしそれが、インテリジェント・デザインの結果だと分かっている明らかな人工物に似ていると言われても、どうしてそういうアナロジーが成り立つのか私にはわかりませんね。しかし面白いのは、ある生物学――生物学者の作っているウエブサイトで、ビーヒーの本に出ているネズミ捕りよりも簡単なものが、実際に作れることを示していることです。だから現実に、彼自身の例によって、還元不能の複雑性は成立しません。

 ピーター・ロビンソン:ということは、人間の眼とか、細胞を組み合わせた簡単な光感知装置でもよい、そういったものはあまりにも複雑なメカニズムなので、行き当たりばったり、あるいは少しずつ、といった具合にはできなかっただろうというこの考え――そういう考え方は全く成り立たないという…

 マッシモ・ピグリウッチ:それは特にその例においては成り立ちません。なぜなら現に、どうして複雑な脊椎動物の眼が進化してきたかを示す十分な証拠があることがわかっています。我々は現に、多くの中間的な段階があることを知っている。あるものは化石記録に現れ、あるものは現在生きている動物に見出されます。こういったものは確かに限られた生物です――今日生きているものは中間段階ではない、しかしそれらは眼や光感受器の単純化された形です。それらは利用できます。そしてかなりよいモデルがあるのです。

 ピーター・ロビンソン:光感受器の?

 マッシモ・ピグリウッチ:そうです。光感受器から複雑な眼が徐々にできてくることを示すかなりよいモデルがあるのです。

 ピーター・ロビンソン:それで、あなた(ウエルズ)の考えではビーヒーは原理的に何か重要なものを見出したわけだが、個別的な例は何もないことになるのですか? 光感受器でさえ徐々に生じた…

 ジョナサン・ウエルズ:実際は、ビーヒーが議論しているのは脊椎動物の眼の進化ではなく、光を受け止めるメカニズムそのものの起源についてです。ビーヒーは生化学者です。だから彼は実際に光子をとらえる――光をとらえる分子のメカニズムを研究しているのです。そして、それが還元不能に複雑だという彼の議論には、説得力があると私は思います。そしてちょっと反論させてもらいたいが、科学的文献にこの問題についての科学的な論争はありますよ。

 ピーター・ロビンソン:さて、ではインテリジェント・デザインそのものを細かく見ることにしましょう。

 タイトル:誰でも批判ができる

 ピーター・ロビンソン:インテリジェント・デザインは単なる批判ですか――それはただ進化論の限界と欠点を指摘する方法ですか? それともそれはもっと積極的なものですか? それは現実的に、証拠について考えるフレームワークとか新しい思考法を与えるのですか?

 ジョナサン・ウエルズ:私はそれは単なる批判ではないと言いたい。もっともその批判が重要なのは、多くの進化論生物学者の手によって、ダーウィンの理論、その現代版が、デザインを締め出し、それを単なる見かけにするために用いられているからです。だから進化論批判ということは全体の重要な一部です。しかしインテリジェント・デザイン理論が一つの科学であるためには、自分の二本足でひとり立ちしなければなりません。そしてそうするためには仮説を提起することです。

 ピーター・ロビンソン:なるほど。

 ジョナサン・ウエルズ:そしてその仮説がテストされうるような基準を設定することです。

 ピーター・ロビンソン:その仮説は?

 ジョナサン・ウエルズ:Xという特性は、それが宇宙にあっても特定の生命体のなかにあっても、インテリジェント・デザインの産物だという仮説です。

 マッシモ・ピグリウッチ:いったいそのテストはどうやってするのですか?

 ジョナサン・ウエルズ:我々が日常生活でテストするのと同じやり方ですよ。

 ピーター・ロビンソン:ちょっと待って、ちょっと待って。進行が少し早すぎます。インテリジェント・デザインの産物は何を意味するのですか? どうしてそういう考えを押し進めながら、神の膝の中とか、あるいはトマス・アクィナスの言う第一動者といった考えに行き着かないのですか? 

 ジョナサン・ウエルズ:まあちょっと、我々の日常生活においてですね、デザインを推論するということを我々はしょっちゅうやっています。ある状況とか物事を見て、しばしばほとんど直観的に、これはデザインされたもの、これはそうでない、と判断します。

 マッシモ・ピグリウッチ:(時計を出して)ここに一つの例がある。

 ピーター・ロビンソン:いかにも。

 ジョナサン・ウエルズ:時計は古典的な例です。

 ピーター・ロビンソン:ビル・クリントンの有名な、もしあなたが杭の上に亀を見つけたら、その亀は偶然そこへ行ったのでないことがわかる、という警句がある。

 ジョナサン・ウエルズ:それは聞いたことがなかった。

 マッシモ・ピグリウッチ:それはいい例だ、うん。

 ジョナサン・ウエルズ:そこで問題は、証拠に照らし合わせて検証できるような一つの仮説があるかということです。私はあると考えます。さてそうしておいて、我々は何が言えるでしょうか? インテリジェント・デザイン理論においては、我々に言えることはただ、この特性はともかくも暫定的にデザインの産物らしいということです。

 ピーター・ロビンソン:しかしどうやって――これはマッシモの質問になるが――どうやってその仮説を検証するのですか?

 ジョナサン・ウエルズ:それは、今あなたがマイケル・ビーヒーの名をあげました。還元不能の複雑性(irreducible complexity)というのは一つの基準です。もう一人のデザイン理論家であるウイリアム・デムスキーは、彼が複――特定性をもつ複雑性(specified complexity)と呼ぶもっと広い基準を設けています。いま私が、ひと山の――ひと掴みのスクラッブル、アルファベット字札を床に上にまいたとします。これらの札が作るパタンは非常に複雑で込み入ったものになるでしょうが、それはデザインされたものではありません。それはただの偶然です。それは床の上の山です。しかし今私がこれらの文字を英語のセンテンスになるように並べたとしたら、このパタンはただ複雑なだけでなく、それは独立して特殊性をもつあるパタンにぴったり合うという意味で、特定性をもつものです。

 マッシモ・ピグリウッチ:それはまたしても論点の先取りですよ。なぜなら自然選択――自然選択による進化論のポイントは、実はその複雑で秩序あるようにみえるパタンを自然選択によって説明することにあるのですから。私にはそれは…

 ピーター・ロビンソン:しかし、ちょっと待って、待って。あなたは自然の過程というものを別の――別の言葉で考えようとしている…

 マッシモ・ピグリウッチ:そうです。だがそこには違いがある。一つには、自然選択は、観察現場の条件のもとで経験的に測定することができる。私の学生はいつもそれをやっていますよ。あなたはインテリジェント・デザインの活動を測定することはできない。しかしもっと根本的な問題でジョナサンにちょっと…

 ピーター・ロビンソン:もし彼が――別の言い方をすると、もしあなたがまず始めに、自然でないものの観念とか、また[測定]できないものとかを、何でも除外して考えようと言われるなら…

 マッシモ・ピグリウッチ:それは進化ではないということです。それが一般的に科学というものです。一般的に科学は、超自然的な介入があるという前提で出発することはできない、つまり――そこをはっきりさせようではないですか。

 ピーター・ロビンソン:ではあなたにとって問題は、インテリジェント・デザインが進化論よりもものをよりうまく説明するとどうして言えるか、ということですね。

 ジョナサン・ウエルズ:ちょっと、二つのことを言わせてください。

 ピーター・ロビンソン:というのは、そこが大事な点だからです、そうでしょう?――よりよい適合(fit)、証拠とよりよく適合する何かを捕まえるということでしょう? 

 ジョナサン・ウエルズ:そう、そう。私の言いたい一つのことは、自然選択は特定性をもつ複雑性を作り出すこともできず、その能力があるという証明もしてこなかった…

 マッシモ・ピグリウッチ:しかしそれはネガティヴな言い方ですよ。

 ジョナサン・ウエルズ:最後まで言わせてください、最後まで。

 ピーター・ロビンソン:続けてください。

 ジョナサン・ウエルズ:最後まで言わせてください。それともう一方では、ここで今しがた聞いたのは別の科学の定義であって、我々が先ほど合意したものと同じものではないのです。私が言っている科学の定義――科学の真髄とは、証拠に照らし合わせて仮説を検証するということです。今しがた聞いた科学の定義は、世界のすべては超自然的な原因に頼ることなしに説明することができるという想定から科学は始まる、というものです。

 マッシモ・ピグリウッチ:悪いが…

 ジョナサン・ウエルズ:それは別の定義です。

 マッシモ・ピグリウッチ:いや、悪いがジョナサン、そこには違いはないのだ――仮説を超自然的なものによって検証することはできないという単純な理由によってね。

 ジョナサン・ウエルズ:ああ、しかしあなたの態度が仮説を検証するということなら、あなたは何であるかを知っているその点に行き着くことができる。私はその質問に対する答えを知らないのです。

 マッシモ・ピグリウッチ:それが正しい。そして科学者はいつもそれをやっている。しかし、今言った我々がいつもやっている答えを知らないと言うことと、だから答えはインテリジェント・デザイナーがいるのだ、と言うことの間には決定的な違いがある。

 ピーター・ロビンソン:だからインテリジェント・デザインは…

 ジョナサン・ウエルズ:まず言っておきたいが、私はインテリジェント・デザインは単に「私は知らない」ということと同じだとは思っていません。自然選択を説明に使う、ダーウィン進化論を説明として使うことの問題は、あまりにもしばしばそれが不戦勝的説明(default explanation)だということです。つまり、「我々は知らない」という代わりに、それは、この世にインテリジェント・デザインなどというものがないことは分かっているのだから、自然選択であったに違いないのだ、と言っているのです。すなわち、それはあなたが言ったように単なる見かけですよ。

 マッシモ・ピグリウッチ:私は科学者がそんなふうに言うのを聞いたことがない。

 ジョナサン・ウエルズ:私はそれを何百回となく読んでいますよ。

 ピーター・ロビンソン:ここで我々の出発点であった問題へと戻ってくることになります。アメリカの学校生徒は何を教えられるべきかということです。

 タイトル:これは事実ですよ、奥さん

 ピーター・ロビンソン:ジョージア州コブ郡の教育委員会は、理科の教科書にステッカーを貼りました。正確な言葉は知りませんが、「進化は理論であって事実ではない」というのに大変近いものです。すると裁判官は、そういったステッカーは教科書からはがさなければならない、理由は宗教への不公平な肩入れになるから、という判定を下しました。私はあなた方に憲法論議をやってくれというのではありません。学校生徒にどのように教えるべきかをお聞きしたいのです。進化論一点張りか、それとも進化論というものがあって、それをこう考える人もあれば、ああ考える人もある、と教えるか。教科書のデザインをどう扱いますか?

 ジョナサン・ウエルズ:私は絶対に、科学を学ぶ学生はダーウィンの進化論とその現代版を教えられるべきだと思います。それは現代の生物学においてとても重要で影響力をもっているからです。しかし同時に、学生はその科学的証拠と、それを支持する議論、それに反対の議論の両方を教えられるべきです。そしてもし論争があるかないかということが問題なら、ここに確かに二人の生物学者がいて、皆さんその論争の、少なくとも片鱗はお聞きになったわけです。ですから論争は存在します。そして学生はそのことを知っておくべきだと思います。ところで、学生にインテリジェント・デザインを学ぶように強制すべきかと言えば、私はそう思いません。しかし問題が浮上してくるなら、当然調べるべきでしょう。

 マッシモ・ピグリウッチ:私は、あなたの言われたその決定で裁判官の使ったその言葉は重要なものだと思います。裁判官はそのステッカーは除去されねばならないと言った。それは進化論だけを不当にも特別扱いするものだからです。それは学生に、進化論には他の科学理論と比べて特別に論争の種になるような、何か特別のことでもあるのかと思わせるものです。ですから、もし我々が――これは本当ではないが――科学的進化論が生物学において、量子力学や相対性理論が物理学で論争の種になるほどに論争になるというような話をしているとしたら――ついでながら、それらが論争になるのは例えば…

 ピーター・ロビンソン:(ウエルズの方を向いて)本当?

 マッシモ・ピグリウッチ:相対性理論はある領域で、量子力学の予言とは矛盾するある種の予言をするのです。そういうことがあるから、その方面でいまだに盛んに仕事をしている科学者があり、研究者の専門職にもなっているのです。同時に――同様に、もちろん進化論は、我々が生物について知っているすべてを説明するものではありません。だからこそ、そういった問題について研究を続けている私のような専門的な生物学者がいるのです。しかし一つ重要な点は、学生に対して、科学は常に形成途上にあるということ、それは絶えず変わっているから、きょう正しいと思ったこと――正しい解釈と思ったことも変わるかもしれないということを指摘することです。そしてここにこそ現実的な進歩の領域があるのです。

 ピーター・ロビンソン:それでは現実に仕事をしている科学者として、あなたは学生に対し、「いいか、これも一つの理論、これも理論、これも理論だ。みなそれぞれ限界があるのだ。科学はみな形成途上にあるのだ」と、全く平気で言うことができるのですか? ところが一方、インテリジェント・デザインに関する一つか二つのパラグラフを含めることについては、平気ではないのですか? 

 マッシモ・ピグリウッチ:確かに私はそれについては平気ではない。それは現在のところ、そして私の見るところ永遠に、しかし今のところは確実にだが、インテリジェント・デザインは科学理論ではないからです。だからそういうものとして科学のクラスに持ち込まれるべきではない。ところで高校に哲学のクラスがもしあれば――ヨーロッパの高校では三年間ほど、哲学をカリキュラムとして教えなければならないのだが――哲学のクラスでなら、インテリジェント・デザインを教えるのは構わないでしょう。しかしそれは科学理論ではない。実際、ジョナサンは今しがた基本的にそれにかなり同意しました。

 ジョナサン・ウエルズ:それが科学理論ではないということに?

 マッシモ・ピグリウッチ:そうです。

 ピーター・ロビンソン:マッシモ解決案は何ですって? マッシモ解決案は、インテリジェント・デザインを教えよ、だけど哲学のクラスで教えよ、ということですね。あなたはどう思いますか?

 ジョナサン・ウエルズ:いや私はインテリジェント・デザインは科学理論だと思っています。私はそれが“インテリジェント・デザイナー”というものになるとは思っていません。それがあなたの言っていた捉え方かもしれない。問題は学生たちがすでにインテリジェント・デザインを教えられていることです。テキサス州は昨年たくさんの教科書を採用しましたが、その中の数冊はインテリジェント・デザインに関するセクションを含んでいます。

 ピーター・ロビンソン:そしてACLU(米国自由人権協会)は黙認しているのですか?

 ジョナサン・ウエルズ:いやそれはそのセクションがこの理論を戯画化して…

 ピーター・ロビンソン:ああなるほど。

 ジョナサン・ウエルズ:棄却しているからですよ。よろしい、ともかく今学生は、もしこれらの教科書が使われるならば、テキサスでのように、インテリジェント・デザインについて強制的に読まされることになりますが、そのときにはこの理論は公平に扱われ、学生に十分の討論の時間を与えるべきでは…

 ピーター・ロビンソン:最後の質問です。今から10年後――私はあなたがたに、インテリジェント・デザインがこのような扱いを受けるに値するかどうかを聞いているのではないのです――私はお二人に、事態がどのように動いていくと思うか、予言をお伺いしたいのです。今から10年後、インテリジェント・デザインはアメリカの理科の教科書で、少なくとも手短な敬意ある扱いを受けるでしょうか? どうお考えですか?

 マッシモ・ピグリウッチ:クリエーショニズムを公立学校で教えることを許すというような最高裁判所の何らかの大きな変化がないかぎり、そうはならないでしょうね。それは起こるかもしれないが、それは政治の結果であって科学ではない。

 ピーター・ロビンソン:ジョナサンは?

 ジョナサン・ウエルズ:私はインテリジェント・デザインがクリエーショニズムだとは思っていません。最高裁判所に関係があるとも思っていません。私はインテリジェント・デザインが科学者社会に受け入れられると思います。だから…

 ピーター・ロビンソン:10年以内に? 事態はかなり早く進行すると思いますか?

 ジョナサン・ウエルズ:まあ、20年は欲しいですね。

 ピーター・ロビンソン:20年ね。よろしい。

 ジョナサン・ウエルズ:しかし緒につくのは10年以内でしょう。

 ピーター・ロビンソン:マッシモ、ジョナサン、ありがとうございました。

 ピーター・ロビンソン:私はUncommon Knowledgeのピーター・ロビンソンです。ご参加ありがとうございました。
 私たちは今週のショーへのみなさまのコメントを歓迎します。私たちのEメールアドレスはcomments@uncommonknowledge.tv. Uncommon Knowledge について詳細はウエブサイトwww.uncommonknowledge.tv. をご参照ください。

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