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IDはピアレビューされている、しかしピアレビューは良い科学の要件か?

Casey Luskin
February 10, 2012

Peer-Reviewed & Peer-Edited Scientific Publications Supporting the Theory of Intelligent Design(リンク)の最新版リストを見ていただければわかる通 り、ID運動はさまざまな研究プログラムを展開し、50以上のピアレビューされた科学論文の形に結実している。間違いなくID唱道者たちは、有意味な数量 の、正当なピアレビューを受けた研究を公表している。

過去において批判者たちは、IDはまさにこのような「ピアレビュー付き研究」を発表しないかぎりは真面 目に受け取ることはできない、と言って批判してきた。しかし、ピアレビュー文献で認められることが、ある一つの考え方の科学的価値を証明する絶対的要件ではないと理解することが肝要である。

ピアレビューなしの良い科学

科学史において最も重要で画期的な仕事のいくつかは、最初、ピアレビューされた科学誌の論文でなく科学的な本の形で現れている。コペルニクスのDe Revolutionibus(天体の回転について)やニュートンのPrincipiaがそうである。アインシュタインの相対性に関する元の論文は、科学誌(Annalen der Physik)に発表されたが、正式なピアレビューを受けなかった。ダーウィン自身の進化論も、最初は一般 の科学的な読者層向けの本、『種の起原』に発表されたものであって、ピアレビュー論文においてではなかった。

のみならず、重要な科学の仕事が、最初はピアレビュー雑誌によって拒否された例も決して珍しくはない。2001年のあるScienceの論文が言っているように、「“ピアレビュー”という言葉を聞くと、ほとんどの科学者は、いやらしいコメントをつけた、いつまでも原稿を読もうとしなかった、あるいはその研究を盗んで栄光をわが物にするために採用を拒否した、レフェリー(査読者)の話であなたを楽しませてくれるだろう」 実際、Science Communicationに載ったJuan Miguel Campanarioの論文は、「Science とかNatureといったトップ科学誌もまた重要な論文を拒否することがあり、」現に「Natureは後にノーベル賞を獲得した研究を拒否したことさえある」と言っている。“Not in our Nature”という滑稽な題の付いた手紙で、カンパナリオは、この雑誌が重要な論文を拒否した4つの例をあげている――

(1)1981年、Natureは英国の生科学者Robert H. Michellの、ホルモンによる信号反応に関する論文を拒否した。この論文はその後、1800回以上も引用されている。
(2)1937年6月、NatureはHans Krebsのクエン酸サイクルを説明する手紙を拒否した。クレブズはこの発見により、生理学/医学部門の1953年ノーベル賞を受賞した。
(3)Natureは、Harmut Michelが1988ノーベル化学賞を受賞した仕事についての論文を、最初、拒否した。この研究は科学情報研究所によって、コア・ドキュメントとして認定され、広く引用されている。
(4)1983年、Natureによって拒否されたMichael J. Berridgeの論文が、永久最多引用論文リストの275番目にランクされている。これは1900回以上引用されている

別の所でカンパナリオは、「科学誌の編集者やレフェリーが、後にノーベル賞を受けさせることになった発見を扱った原稿に反発し拒否した36件の例」を列記している。同じように、Tulane大学の物理学者Frank Tiplerは、次のような逸話を提供している――

*「もう1つの例はGuenter Blobelだ。彼はノーベル医学賞を受けた直後に行われた記者会見で、研究の上で遭遇する主要な問題は、“誰か愚かなレビューアーが古い考えに教条的にしがみついていて、論文を拒否したために、助成金と論文が拒否される場合”だと語っている。ニューヨーク・タイムズは、このコメントが“何百人もの同情的な研究者仲間と傍聴席の若い科学者たちから、万雷の喝采を受けた”と報じている。」
*「スティーヴン・ホーキングがNatureに、彼の最も重要な論文と目されている、ブラックホール蒸発に関する論文を提出したとき、それは最初拒否された。私が名前の言えない同僚から聞いているところでは、ホーキングがPhysical Reviewに、彼の最も重要な論文と私が個人的に考える論文――unitarityと呼ばれる最も基本的な物理法則が、ブラックホール蒸発においては破られることを示した論文――を提出したときもまた、最初は拒否されたという。」
*「今日、ハワイ諸島は、太平洋プレートが地球の深い内部の熱いスポットの上を移動したときに、連続して形成されたことが知られている。この説は最初、著名なプリンストンの地球物理学者Tuzo Wilsonによって提唱されたものだ。彼は言っている、“私は論文をJournal of Geographical Researchに送ったが、彼らはこれを拒絶した。彼らは、私の論文には数学が含まれていないし、新しいデータもない、そして現行の考え方に合わない。だから良い論文とは言えない、と言った”」
*「ノーベル賞ウェブページで、最近の受賞者の自叙伝を読むことができる。かなりの受賞者たちが、授賞対象となった考え方を発表するのに、大変な困難があったと述懐している

こういった例をかんがみて、カンパナリオはこう結論する――

専門家がある原稿をあまり面白くないと考え、それが後にその分野の古典となる(あるいはもっと悪いことに、拒否された論文に報告されていた研究がノーベル賞を受ける)というようなことでは、ピアレビューというシステムに問題があると言わざるを得ない。…AAASやNASの報告とは逆に、ピアレビュー誌に発表されることが、必ずしも本物の研究を見分ける最上の方法ではない

最高裁もこれに同意

アメリカ最高裁でさえ、良い科学は必ずしもピアレビュー付きの科学誌に発表されたものではないと認めている。分岐点となった1993年のDaubert v. Merrel Dow Pharmaceuticals, Inc.裁判において、最高裁は、ピアレビュー誌への発表は正当な科学の一つの指標にはなるが、それは必ずしも良い科学の指標ではない、との見解を示した――

発表は受容価値の必須条件ではない。それは必ずしも信頼性と相関はしない。十分な根拠をもつが革新的である理論が、発表されなかったという例もある。その上、ある提唱があまりに特殊であるとか、新しいとか、関心が限られているために発表されないということもある

米最高裁は、「科学者共同体の閲読を受けることは〈良い科学〉の一要因ではあるが、…ピアレビューのある雑誌に発表された(またはされなかった)ことは、…ある主張の科学的信頼性を評価する上で、決定要素でなく参考要素にすぎない」と言っているのである

科学の進歩は、少数意見や、ピアレビュー誌に発表されなかったかもしれない不人気な考えに大きく依存するものであることは、スティーヴン・J・グールドが雄弁に強調している。これは彼が、他の科学者や科学史家と共に、Daubert裁判に関して最高裁に提出した法廷助言の主旨である――

有力な科学的“コンセンサス”と誰かが考えたものに矛盾する見解や研究を、考慮することさえ頭から拒否するという態度によって、科学的証拠に基づく正しい判断が一蹴されてしまう。科学の進歩は、徐々に知識を積み上げることによって進歩することもあるが、それと同じく、あるいはそれ以上に、古い考え方を駆逐することによって成される。旧来の知恵に挑戦する異論や疑問を自動的に排除するのは、危険な過ちである。なぜなら、一般 に受け入れられている見方のほとんどすべては、かつては非常識な異端と見なされたからである。科学的正統と見なされるものの支配をこのように永続化することは、それが実験室であろうと法廷であろうと、真理の探究をこの上なく阻害するものである。多数意見という曖昧なものに矛盾する科学的証拠を、調べたり考慮することさえ拒否するというのは、どんな分野であろうと、確実に過ちのもとである。

[この裁判を担当した]第9巡回裁判所は、科学的方法論を調べ、何が正統で何が「一般 に受け入れられている」のかを決定する能力も意欲もなかったので、ピアレビュー誌に発表されていることを、身分の保証、〈良い科学〉の必須の条件として、これに飛びついた。そこで裁判所は、この編集上の道具であるものを、どんな科学者も雑誌編集者も意図しなかったもの、つまり科学的真理のリトマス試験紙に変えてしまった。これは科学者が研究室やシンポジウムで行うやり方ではない。またそれは、もし彼らの目的が、可能な限り正確で正当な判断を求めることだとしたら、科学が法廷の場で用いられるべきやり方ではない。・・・

〈科学者共同体〉に属する科学者、医者、科学史家、科学社会学者として、(我々)法廷助言者は法廷に対し、それは科学者が真理の探究において用いる方法ではないと断言することができる。法廷助言者は、第9巡回裁判所の取る、〈よい科学〉とは一般 に受け入れられ、ピアレビュー誌に発表されるもののことだという前提には、異を唱えるものである。また、発表された〈コンセンサス〉と裁判所が考えるものから逸脱しているかもしれない科学的分析や結論は、信頼できず、全く考慮に値しないという考えを、我々は拒絶する。科学的研究法や見解の質は、その事実としての前提の強みと、その推論の深さと整合性によって決まるのであって、特定の科学誌に出たとか、科学者間の人気によって決まるのではない10。・・・

このように、科学的企ての、理論と実践の両方からなされる多くの説得力ある議論が、ピアレビューが良い科学の絶対的な要件ではないことを論証している。

攻撃されるピアレビュー・システム

ピアレビューに否定的な議論は一般に2つの形を取る――(1)このやり方は間違って科学的に正当な論文を拒否する、(2)このやり方は間違って科学的に欠陥のある論文を受理する。2008年のあるFinancial Timesの論文が、この2重の批判を要約している――

この方法は、つまらない研究を選り分けるのに効力がなく、他方では、より想像力ある考え方を排除して予想可能な研究を取り上げ保存するという、批判者たちの攻撃を受けている。University College LondonのDon Brabenは、結局のところは我々みんなが被害者だ、なぜなら経済成長は予測できない科学的進歩に依存しているのだから、と言っている12

同様に2006年には、ジャーナリストで医者のLawrence K. Altmanがニューヨーク・タイムズに、ピアレビュー・システムは欠陥のある、むしろ詐欺的な研究をさえ発表させることで、甚だしく弱体化するようになったと書いている――

最近の、医学や科学誌での、詐欺的、あるいは欠陥ある研究の暴露は、そのピアレビュー・システムの価値を、これまでにないほど疑わせることになった。・・・ほとんどすべての主要な科学・医学誌が、最近、後に信用をなくした成果 を発表したことによって恥をさらしている。このような話が頻繁にあるので、多くの人々は、なぜ著者も編集者も独立した専門家のレビューアーも、誰ひとり発表以前に問題を見つけることができなかったのかと訊ねている。

同様に、元British Medical Journal編集者のRichard Smithは、ピアレビューは「大変のろくて、金のかかる、かなりまぐれ当たりの、間違いや詐欺を見つける可能性の全くない、しかも歴然たる偏見の証拠のあるものだ13」コメントしている。実際、Scienceの2001年のある論文は、ある研究で「研究者たちが、ピアレビューが実は研究論文の質を高めている事実を知らなかった14」と報告している。

このような批判の結果として、ニューヨーク・タイムズの2012年のある記事は、科学者たちはピアレビューという方法にますます懐疑的になっている、と書いている――

何世紀にもわたって、これが科学の取ってきた方法だ――まず個人的に研究が行われ、次に科学や医学誌に提出され査読を受け、他の研究者や一般 人が読めるように公表される。しかし多くの科学者は、この方法がいつまでも続くことを、決して喜ばしいこととは考えていない。


このシステムは偏狭であり、金がかかり、エリート主義的だと彼らは言う。ピアレビューは何カ月もかかることがあり、雑誌購読はおそろしく高くつき、一握りの門番たちが情報の流れを制限している。これは知識を共有する理想的なシステムだ、と量 子物理学者Michael Nielsonは言った、ただ「あなたが17世紀のテクノロジーに踏みとどまっている場合にはね15

ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジ薬理学教授David Colquhounの2011年の論文もまた、ピアレビュー・システムは「もはやうまく機能しなくなった。それは主として発表される論文の厖大な数量 のためだ(2006年には、23,750の雑誌に推定1,300万の論文が出た)」と言っている16。コルクホーンの見解では、論文を審査する「仕事のできる十分に有能な人々が単純に十分でないということ、」従って「今はどんな論文でも、どんなに悪くても、ピアレビューを主張する雑誌に発表することができる17」そして、この問題と切り離せないのは “publish or perish”(発表しなければ滅びる)文化だと彼は言う――

この困った状況に対して責任があるのは、publish or perish文化を押しつけた人々、すなわち研究資金提供者と大学の年寄りたちである。800の論文を書いたということが、恥ずかしいことでなく自慢すべきことになっている。大学の広報部が誇張された主張を奨励し、圧迫を感じた著者たちがそれに応える18

客観的専門家という神話

こうした批判にもかかわらず、非専門家たちはしばしば間違って、論文の編集者やレフェリーを務める科学者個人は常に公平で、論文審査について完全に客観的だと信じている。このようなナイーヴな想定からすれば、ピアレビューは論文の正当性を保証する完全無欠の黄金の尺度である。スティーヴン・J・グールドが、「十分に合理的で客観的な〈科学的方法〉と論理的で取り換え可能なロボットといったお決まりの像は、自己奉仕的な神話にすぎない19」と言ったとき、彼はこれらの神話を一掃したいと考えていたのである。同じようにローレンス・アルトマンも、ニューヨーク・タイムズの論説でこう説明する――

多くの非科学者はレビューアーが公平だと感じている。しかし独立した専門家と呼ばれるレビューアーは、しばしば彼らが審査する論文の著者の競争者であることがあり、潜在的な関心の衝突を問題化する20

不幸なことに、完全に客観的で公平なレビューアーという一般 の印象は、異見を唱える少数者を黙らせる政治的な道具としてこれを振り回す者たちによって、ますます強化される。アルトマンによれば、多くの者がピアレビューの誠実さを誇張し、「ピアレビューに合格することが、雑誌Good Housekeepingの認定シールのような科学的お墨付きをもらうことだという、広く行きわたった間違った印象を創りだした21」彼は続けて、実際はピアレビューの権威付けは、科学誌による権力掌握に相当するのだと言う――

ピアレビューの聖域観念を推進し、自分たちの最近の活動の件数を立派に見せるのに、これを利用することによって、専門誌はその絶大な権力を増幅させてきた22

アルトマンはピアレビュー・システムの嫌な面 を描いていて、彼によると、専門誌は現行の欠陥あるシステムを保持することに巨大な経済的利害を有し、また研究科学者は、ピアレビュー論文が彼らの地位 を維持するのに必要なので、喜んでこれに歩調を合わせるのだという――

その欠陥にもかかわらず、科学者がこのシステムを大事にするわけは、発表しないと滅びてしまうからである。科学者が研究し、私的あるいは政府の機関が彼らの助成金を支出するという制度は、財政援助者に彼らの努力の成果 を示さねばならないために、世に知られることを熱心に求めるのだ。


一般大衆と多くの科学者は、雑誌の禁輸出ポリシーとピアレビューを結びつけることから生ずる経済的利益を、見落としがちである。雑誌の中には、私的な営利会社の所有するものもあれば、雑誌からの収益に依存する職業的学会の所有するものもある。雑誌を経営する経費は、著者やレビューアーが通 常は報酬を受けないから、安くつく。

いくつかの雑誌は、最近まで年収益数万ドルをあげていたが、今は数百万ドルになっていることがわかっている。これは少なくとも3人の編集者の語った事実で、彼らは名を明かさないという条件で財政事情を論ずる合意をしてくれた。なぜなら彼らは財政を語ることを許されていないからである。

どんな有力なシステムでも税金に支えられた研究から利益を上げるものは、歳入がどのように使われるかを一般 に対して明らかにする義務がある。雑誌は通常そのようなデータを明かすことを拒否している23

異見を黙らせるために切る“ピアレビュー”カード

ピアレビュー・システムの諸欠陥にもかかわらず、ピアレビューは体のいい武器として、少数者の科学的反対意見を押し黙らせるために、ますます用いられている。Kent大学の社会学者Frank Furediは、彼がadvocacy science(擁護科学)と呼ぶもの、つまりデータによるのでなく、間違いのないピアレビューという神話を擁護することによって自己保存しようとする科学の、驚くべき台頭を説明している――

近年、ピアレビュー・システムの公正に対する最も不安な脅威は、擁護科学の勢力が大きくなってきたことだ。多くの分野で――最も顕著なのは気象科学だが――研究は大義名分となり、ますます政治化され道徳化されている。その結果 、気象研究においては、ピアレビューは時には道徳プロジェクトと見なされ、そこでは諸決定は単に科学によるのでなく、より高い大義名分によって左右される24

Furediは、ピアレビューが政治的武器として振り回されていると考えている――

このところますます、ピアレビューは、本当は政治的問題であるものに決着をつけるための、一種の犯されず、犯すべからざる権威として扱われるようになった。結果 としてピアレビューの判定は、研究や科学的結論の質についての所見でなく、グローバルな経済から個人のライフスタイルまで、あらゆる問題に影響する長期政策の基礎と見なされるようになった。

ますますピアレビューは、準神聖な制度に転換させられ、明らかに、ある一定の主張が合法的で神聖であることをそれは意味する。そしてこの観点からは、ピアレビューの権威を持たない声は、定義によって非合法ということになる。ピアレビューが顧慮されるべき資格を与える。この資格なくして語る者は軽蔑されるべき者でしかない。

ピアレビューの独裁者が手を振って資格を決定し、反対者を黙らせるように命令するさまが、ほとんど目に見えるようだ。英国の気象変化警告者George Monbiotのような人にとって、ピアレビューは聖書と同等の意味をもつ。スピード・カメラについての論争を彼に挑んだある反対者との論戦を自慢して、Monbiotは「私はこれを受け、単純な質問で彼をねじ伏せた」と書いている。彼の質問が「君はその分析をピアレビュー付きの科学誌に発表したか?」というものであったことは容易に想像がつく25

“ピアレビュー”カードを切って反対意見を黙らせた人たちの典型的な例は、NASAの科学者たちが2010年、ヒ素をベースにした生物を発見したと主張したのをめぐって起こった論争である。この論争は、NASAの科学者が記者会見で彼らの発見を知らせ、メディアの騒ぎを利用して、これは「宇宙生物学の結果 を明らかにするもので、地球外生物の証拠探しに大きな影響を与えるものだ」と約束したことから始まった。我々がすでに論じたように(リンク)、彼らの主張は多くの科学者によって批判された。

最初これらの批判は、インターネットの記載やニュース記事のためのインタービューによる、ピアレビューのない反論の形を取った。ヒ素をベースとする生物を主張していたNASAの科学者たちは、「その反論はピアレビュー付きの雑誌に発表してもらいたいものだ。それが科学の最上のやり方だから」などと言う以外には、批判に対する応答を拒否してしまった。

進化生物学者Jonathan A. Eisenは最近、「“ピアレビュー”を神聖化することをやめよ」という記事を載せて、NASAの科学者たちの偽善に注目させた。要するに、彼らは自分たちの主張をメディアで宣伝したのであり、だからピアレビュー文献の外で彼らの見解を推し進めたのである。そのくせ、ピアレビュー文献に反論を発表していない批判者に応えることを拒否したのだ。アイゼンはこの間の事情をこう書いている――

これは呆れた話だ。なぜなら大風呂敷の記者会見を開いたのは彼らの方なのだから。それなのに、反対意見が“ピアレビュー”されていないからといって応えるのをやめてしまうというのには、私も他の人も驚いた。・・・彼らの主張が正しかったのかどうかに関わりなく、反論はピアレビュー文献のものでなければ認めない、というのは偽善である。

結局は、批判者の反論はピアレビュー文献に発表された(リンク)。しかしこのエピソードは、メディアのようなピアレビューなしの媒体で大衆に自分たちの考えを押しつけながら、ピアレビューのない反論だからといって批判者を黙らせるというのは、偽善も甚だしいというべきだろう。

しかし多数派の見解に異論を唱える人々が、ピアレビューのある媒体に発表することは、いつでも可能なのだろうか?

科学的偏見、科学史からの教訓

科学史家は、なぜ少数派の科学的見解が、ピアレビューのある科学誌に発表されるのが難しいのかを完全に知っている。Journal of the American Society for Information Scienceのある論文は、科学者は偏見によって新しい考えを受け付けないことがあると述べている――

時に科学者は、自分の新しい考えに対する同僚からの強い抵抗に遭うことがある。科学者共同体はしばしば、新しい考え方や方法、予期しない観察事実などを受け入れ難いと思うことがある。科学者の科学的発見への抵抗の、最も大きくかつ有害な出所は、その使命が科学的仕事の質を維持することにある同僚(peer)たち、すなわち科学誌の編集者やレフェリーにほかならない26

同様に、有名な科学史家Thomas Kuhnは、この方面 の草分け的な本The Structure of Scientific Revolutionsの中でこう書いている――

通常の科学の目標には、新しい種類の現象を呼び出すことは含まれていない。実際、箱に入らないものは、しばしば全く見えていないのである。また科学者は通 常、新しい理論を創りだすことを目指すことはなく、しばしば他者によって創りだされ理論には非寛容である27

旧来の知恵の多くに異を唱える新しい科学理論として、インテリジェント・デザインはまさにこの種の非寛容に直面 している。ある場合には、ID支持の生科学者Michael Beheがある科学誌に発表すべく論文を提出したところ、それは発表できないと言われた。その理由は、「あなたの非正統的な理論は、現行のパラダイムを拡張するかもしれない何かを押しのけることになるから28」というものであった。ビーヒーはこう結論する――

私がここから学んだ教訓は、科学誌の編集者の中には、個人的には寛容で、現行の見方への挑戦を発表してもよいと考える人もいるのだが、グループ(編集委員会のような)になると正統派が支配的になる、ということだ29

科学ジャーナリストDenyse O’Learyはこれに同意して、「伝統的なピアレビュー・システムの圧倒的な欠陥は、あまりにもそれがコンセンサスということに傾いていて、純粋に新しい見方や解釈に対する寛容さをほとんど示さないことだ30」と書いている。フランク・ティプラーの見解では、ID理論がまさにこのような条件反射的な非寛容に直面 している――

National Academy of Sciences(NAS) のメンバーに、これを真剣に考えさせようとしても不可能である。このような科学者たちの典型的な反応は、“インテリジェント・デザイン”という言葉を聞いただけで口をとがらせることだ。最近私はそんな経験をした。2002年の秋、私はBill DembskiをTulane大学に呼んで、あるダーウィニストと討論させようと計画した。ビルはこの討論でダーウィニズムを反証する証拠だけをあげたが、スティーヴ(ダーウィニスト)の反論は不幸なことに、かなりの人身攻撃的発言を含んでいた。スティーヴはその後も私にはずっと友好的だ。しかしこの論戦以後、この学部の別 の進化論者(特に名を秘す!)が会うたびに私を睨むようになった。この論戦以前は、彼と私は仲良しだった。いま彼は、私を道徳的堕落のモンスターと考えている。

…もしこの私の前友人がこれを読んだら、私を睨むどころではないだろう。彼は私がこんな異端的文章を書いたことで絞め殺したいと思うだろう。もし彼が、この討論が報告された私の論文のレフェリーになったとしたら、断じて私を許すことはないだろう。彼は、私のこの言葉を含む助成金申請を断固としてはねつけるであろう31

実際、最も有名な科学誌のいくつかは、決してID寄りの論文を今後は発表しないと、ほとんど誓っている。2002年、「サイエンス」を出しているAmerican Association for the Advancement of Science(AAAS)は、「ID運動は信頼できる科学的証拠を提出していない」という公的宣言32を出した。しかしAAAS委員会メンバーの何人かが調査されたとき、彼らは「この理論を提唱する科学者たちの学術書や学術論文を、実際は自分で読むことなしに、インテリジェント・デザインを非科学的と宣言する」投票をしたことが明らかになった33。明らかに、インテリジェント・デザインが問題となると、科学でなく政治が、多くの雑誌の振舞いを左右しているのである。

ロックアウトの試みにも屈せず、ID唱道者たちはピアレビュー付きの科学誌に彼らの考えを発表してきた。このことはIDが、怪しげな“ピアレビュー”という良い科学のテストを受けようと受けなかろうと、学問的正当性を持つものであることを示している。

 

References Cited:

[1.] See Frank Tipler, "Refereed Journals: Do They Insure Quality or Enforce Orthodoxy?," International Society for Complexity, Information, and Design Archives (June 30, 2003).

[2.] Martin Enserink, "Peer Review and Quality: A Dubious Connection?," Science, Vol. 293:2187-2188 (September 21, 2001).

[3.] Juan Miguel Campanario, "On Influential Books and Journal Articles Initially Rejected Because of Negative Referees' Evaluations," Science Communication, Vol. 16(3):304-325 (March, 1995).

[4.] Juan Miguel Campanario, "Not in our Nature," Nature, Vol. 361:488 (February 11, 1993).

[5.] See Juan Miguel Campanario, "Rejecting Nobel class articles and resisting Nobel class discoveries"

[6.] Frank Tipler, "Refereed Journals: Do They Insure Quality or Enforce Orthodoxy?," International Society for Complexity, Information, and Design Archives (June 30, 2003) (internal citations removed).

[7.] Juan Miguel Campanario, "On Influential Books and Journal Articles Initially Rejected Because of Negative Referees' Evaluations," Science Communication, Vol. 16(3):304-325 (March, 1995).

[8.] Daubert v. Merrell Dow Pharmaceuticals, Inc. , 509 U.S. 579, 593-594 (1993) (internal citations removed).

[9.] Daubert v. Merrell Dow Pharmaceuticals, Inc. , 509 U.S. 579, 594 (1993) (emphasis added).

[10.] Brief Amici Curiae of Physicians, Scientists, and Historians of Science in Support of Petitioners, Daubert v. Merrell Dow Pharmaceuticals, Inc., 509 U.S. 579 (1993).

[11.] Clive Cookson and Andrew Jack, "Science stifled?," Financial Times (June 12, 2008).

[12.] Lawrence K. Altman, "For Science's Gatekeepers, a Credibility Gap," New York Times (May 2, 2006).

[13.] Richard Smith, quoted in Clive Cookson and Andrew Jack, "Science stifled?," Financial Times (June 12, 2008).

[14.] Martin Enserink, "Peer Review and Quality: A Dubious Connection?," Science, Vol. 293:2187-2188 (September 21, 2001).

[15.] Thomas Lin, "Cracking Open the Scientific Process," New York Times (January 16, 2012).

[16.] David Colquhoun, "Publish-or-perish: Peer review and the corruption of science," The Guardian (September 5, 2011).

[17.] David Colquhoun, "Publish-or-perish: Peer review and the corruption of science," The Guardian (September 5, 2011).

[18.] David Colquhoun, "Publish-or-perish: Peer review and the corruption of science," The Guardian (September 5, 2011).

[19.] Stephen Jay Gould, "In the Mind of the Beholder," Natural History, Vol. 103 (2):15 (1994).

[20.] Lawrence K. Altman, "For Science's Gatekeepers, a Credibility Gap," New York Times (May 2, 2006).

[21.] Lawrence K. Altman, "For Science's Gatekeepers, a Credibility Gap," New York Times (May 2, 2006).

[22.] Lawrence K. Altman, "For Science's Gatekeepers, a Credibility Gap," New York Times (May 2, 2006).

[23.] Lawrence K. Altman, "For Science's Gatekeepers, a Credibility Gap," New York Times (May 2, 2006).

[24.] Frank Furedi, "Turning peer review into modern-day holy scripture," Spiked (February 23, 2010).

[25.] Frank Furedi, "Turning peer review into modern-day holy scripture," Spiked (February 23, 2010).

[26.] Juan Miguel Campanerio, "Have Referees Rejected Some of the Most-Cited Articles of All Times?," Journal of the American Society for Information Science, Vol. 47(4):302-310 (1996).

[27.] Thomas Kuhn, The Structure of Scientific Revolutions, p. 24 (2nd Ed, University of Chicago Press, 1970).

[28.] See Michael Behe, "Correspondence with Science Journals: Response to critics concerning peer-review" (August 2, 2000).

[29.] See Michael Behe, "Correspondence with Science Journals: Response to critics concerning peer-review" (August 2, 2000).

[30.] Denyse O'Leary, "Part Four: Conclusion - How will we know if a more open system works better?," ARN.org (November 15, 2006).

[31.] See Frank Tipler, "Refereed Journals: Do They Insure Quality or Enforce Orthodoxy?," International Society for Complexity, Information, and Design Archives (June 30, 2003).

[32.] See "AAAS Board Resolution on Intelligent Design Theory" (October 18, 2002).

[33.] See John G. West, "Intelligent Design Could Offer Fresh Ideas on Evolution," Seattle Post-Intelligencer (December 6, 2002).

















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