Evolution News & Views

「サイエンティフィック・アメリカン」が多重宇宙に挑戦

Casey Luskin
November 30, 2011

数ヶ月前、サイエンティフィック・アメリカン誌が、ケープタウン大学の宇宙学者George F.R. Ellisの“Does the Multiverse Really Exist?”という論文を載せた。その結論は、たとえそれが存在するとしても科学はそれを発見する方法をもたない、というものだった。要するにそれは、哲学的思弁に根ざす非科学的な概念だということである。論文の要旨にこう述べている――

困るのは、いかなる天文学の観測も、これら他の宇宙を見ることができないことである。この主張はせいぜい間接的でしかない。そしてたとえ多重宇宙が存在するとしても、自然の深い神秘は説明されないままである。(Scientific American (August, 2011))

映画『スター・トレック』や連続テレビ番組の多くは、繰り返すテーマとして、宇宙船の乗組員が偶然に他の宇宙へ移送されるように仕組んでいる。こうしたある反ユートピア宇宙で、ナチスが第2次世界大戦に勝利し、人類は不気味な暴力的な方向を取ることになった。「連合」は善意ある惑星の連合ではなくて、他の世界を支配しようとする帝国である。そのような別 の宇宙が存在するならば、『スター・トレック』の中で起こっているように、我々はそれらと交流する可能性があるのだろうか? エリスによれば「ノー」だ――

すべての並行宇宙は我々の水平線の外にあり、現在も将来も、いかに技術が進んでも我々が見ることはできない。実は、それらはあまりにも遠くにあって、我々の宇宙にはどんな影響も及ぼすことはできない。多重宇宙の熱狂的宣伝家の主張が、何一つ直接的な現実性をもたないのはそのためである。

したがって、多重宇宙仮説の予言する多くの別 の宇宙を観測したり交流したりする方法が全くないとすれば、なぜ科学者の中にこれを擁護する者があるのだろうか? エリスによれば、彼らは我々の宇宙のファイン・チューニングの証拠を避けて通 ろうとしているのだ。

基本的な常数が生命のために微調整されている。我々の宇宙の驚くべき事実は、物理常数が、生命を含む複雑な構造を可能ならしめるのに必要な、ぴったり正しい数値を取っていることである。スティーヴン・ワインバーグ、マーティン・リース、レナード・サスキンドといった人々は、外にある沢山の宇宙が、この見事にみえる一致をきちんと説明することができると論じている。つまり十分に大きな宇宙の集団の中で、すべての可能な数値が生ずるならば、生命を可能にする宇宙もきっとどこかに見つかるだろう、というわけである。この理屈が特に、今日、宇宙の膨張をスピードアップしている暗黒エネルギーの密度を説明するのに適用される。私は多重宇宙が、この密度の数値を説明する1つの可能な、有効な方法だということには同意する。確かに我々の現在の、科学根拠をもつオプションとしてはそれしかない。しかしそれが観察によって確かめられる見込みは全くない。

宝くじを沢山買えば当たる確率は大きくなる。同様に多重宇宙を唱える人は、より多くの宇宙を作り出せば、物理法則が生命のために微調整されている宇宙を見つける、狂気じみた小さな確率を説明するのに都合がいいだろう。したがって多重宇宙を信ずる動機は、デザインの証拠をもみ消そうとする唯物論哲学にあるのである。多重宇宙論者にとって不幸なことに、「それが観察によって確かめられる見込みは全くない」とエリスは指摘する。

どれくらい微細に宇宙は調整されているのだろうか? ロジャー・ペンローズによれば(リンク)、宇宙の最初のエントロピーは、10の「10の123乗」乗分の1まで微調整されていなければならなかった。これは10に123個0をつけた分の1ではない。これは10に10の123乗個の0をつけた分の1である。我々の宇宙のファイン・チューニングは唯物論者にとっては大変な問題だ。

エリスはID唱道者でもないようだが、物理学者が、目的論を持ち出すことなしに宇宙のファイン・チューニングを説明することは困難だ、と論文を結んでいる――

多重宇宙を唱える人々は最後に1つの主張をする――すなわちこれ以外によい代替案は存在しない、と。並行世界が増殖することを科学者がどんなに嫌おうが、もしそれがベストの説明なら、我々はそれを受け入れざるをえないだろう。逆に、もし多重宇宙を放棄しようというなら、確かな代替案が要求される。この代替案の探究は、どんな種類の説明を我々が受け入れる用意があるかに依存する。物理学者の希望は常に、自然の法則は不可避的であるということ、つまり事物は、それがありえた他の在り方がなかったからそのようであったということだ。しかしこれが真であるかどうかを我々は示すことができない。他のオプションも存在する。宇宙は純粋な偶然の事象かもしれない――たまたまそうなっただけ。あるいは事物はある意味で、そうなるように意図されたのかもしれない――目的や意図が存在の根底にある。科学はどちらが本当かを決めることができない。なぜならこれは形而上学的問題だからだ。

エリスは目的を検出することは科学の領域の外にあると論ずる。しかし、もし我々が科学的観察に見方を基礎付けるとすれば、我々は次のような見方を取らざるをえなくなる――

・自然の法則は、生命に友好的な宇宙を生み出すのに要求される、信じがたいほどに精度の高い微調整を示している。
・現在、この微調整に対する物理学的説明は存在しない。
・我々は我々の宇宙をしか観察できない。
・この考えられない微調整は、自然の法則にはめ込まれた、天文学的に高いレベルの特定された複雑性を表わしている。

そこで何が、我々の恒常的な経験において、高いレベルの特定された複雑性のただ一つの知られた原因だろうか? インテリジェント・デザインである。

最新情報INDEX