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科学者ぶった言葉を用いてID唱道者を精神分析する?

Casey Luskin
November 30, 2011

今年初めDavid Klinghofferが、ID支持を、精神分析的に死の恐怖に結びつけようとする論文を批評したことがあった。法学教授Frank Ravitchの本の、私の最近の分析でも述べたように(リンク)、我々は共通 して、非礼なID非難を学者らしい修辞で包むいくつかの試みに気づいている。

面白いことに、ラヴィッチの本とほとんど同じ内容の、もう1冊の本もケンブリッジ大学出版で、これはペンシルヴェニア州立大教授Michael BerkmanとEric Plutzerによる2010年のEvolution, Creationism, and the Battle to Control America’s Classroomである。(BerkmanとPlutzerは、サイエンス誌に発表された進化論教育の最近の調査(リンク)の共著者で、ここで彼らは、学生は進化については「自分で判断すべきでない」と言っている。)彼らは、公立学校で進化論批判を教えることを支持する人々が「理性的」であるかどうかの、科学的判定を企てるのが適切だと考えたようだ。有難いことに、こういった人々は「理性的」なのだそうだが、一部は「科学的文盲」(p.52)であり、多くは「教育程度が高くない」(p.79)らしい。

そこで彼らは、リチャード・ドーキンズのダーウィン懐疑派への攻撃を、科学的に調査することに意味があると考えた。次は面 白い読み物である――

反進化論の定番の2番目は、進化の証拠を受け入れない人々は教育程度が低く、無知で、頭がよくないことを示している。…ドーキンズは例えばこう書いている、「もしあなたが進化を信じないという人に会えば、絶対的に確実に言えることは、その人は無知か、馬鹿か、精神異常(それとも邪悪、と言いたいところだがそうは考えたくない)である。」(Dawkins, 1989)この章では、この定番にいくらかの真理があるかどうかを、無知と知識の3つの潜在的指標である、一般 的認知能力、一般的科学リテラシー、形式的教育水準を調べることによって、考えてみようと思う。(p.75)

これらの学者は、認識能力の欠如だけは問わず、科学的無知は小さな要因にすぎないとするだけの思いやりはあるものの、結論としては「教育は進化を教える姿勢への強い指標である」(p.83)と言っている。しかし彼らが、ドーキンズ・タイプの定番や侮辱を科学的に調査しようと考えざるをえなかった事実そのものが、なんとも人をがっくりさせるではないか?

明らかに、ダーウィン批判者の知的能力を科学的に調査することが、現在では、ID反対者の合法的な学者的仕事になっている。このアプローチは、2011年ルートレッジ出版の本Epistemology and Science Education: Understanding the Intelligent Design Controversyでも取られている。この本はIDを非科学的だとして攻撃する論文集で、ID唱道者の科学的業績や研究を認めることを完全に拒否している。

Epistemologyの最初の章は、たった一つのID文献の引用もしていない。にもかかわらず「ID唱道者によって捻じ曲げられた科学の言語や習慣の例は枚挙にいとまがない」と結論して平気でいる。(p.18)

第3章Clark A. ChinnとLuke A. Bucklandによる“Differences in Epistemic Practices Among Scientists, Young Earth Creationists, Intelligent Design Creationists, and the Scientist-Creationists of Darwin’s Era”は、“intelligent design creationists”と平然と呼んでいるものへの、不正確な、しかし学者ぶった攻撃を展開している。Josh RosenauやFrank Ratvitchとほとんど変わらず、これら著者たちは、IDの科学的プログラムが存在することを全く否定するのが好都合と考えて、こんなふうに言う――

・「ID派は、彼らの主張を検証する実験を行わない…また可能性ある代替案に関する仮説を提案もテストもしない」(p.54)
・「ID派は、彼らの主張を精査する実験的研究を先導したことがない」(p.63)
・「ディスカヴァリー研究所は、そのような新しい実験的研究の雑誌をもってい   ない」(p.63)

どうやら彼らは、BIO-Complexity(リンク)のことを聞いたことがないらしい。これは「ディスカヴァリー研究所の雑誌」ではないが、ディスカヴァリー研究所の研究員や、そこにつながりをもたない他の科学者が、IDの主張をテストし精査する新しい実験的研究を記述する査読された論文を発表している。また彼らは、IDの主張を支持するプロID科学者たちの発表する研究をほとんど読んでいない。

これらの批評家は、そういうものが存在しないと主張さえすれば、科学的発見の山に反応しやすくなると考える。したがって最も皮肉なことは、この同じ著者たちが「ID派はこれまで、厖大な量 の経験的証拠を積極的に無視しなければならなかったのだ」(p.58)などと責めていることである。

この本の共著者の一人(チン)はラトガーズ大学の心理学教授だから、この本がID唱道者の心理に分け入り、「ID科学者たちは自分の認識能力についてひどく自信過剰だ」(p.60)と言うのはわかる。しかしこの本はさらに、ID唱道者は「批判や逆の証拠が彼らの前に置かれても、これを認めるのを拒否してきた」(p.62)「進化論に有利な、あらゆる方面 の経験的証拠を無視するか、根本的に再解釈する」(p.70)「真理を探究するというより」イデオロギー的な目標をもっている(p.65)「論駁されている主張に固執する」(p.70)などと主張している。またしてもなんという皮肉か! この同じ著者たちが、IDの実験的研究は存在しないと自信をもって虚偽の主張しているのである!

結論:かえって自信を与える
反IDレトリックの例としてここにあげた最近のいくつかの論文は、主導的ID批判者による本や論文が、我々のよく目にするブログのわめき散らしの類の、不正確で非礼な主張の域を出ていないとことを示している。彼らは、ID唱道者やダーウィン懐疑者は無教育であり、科学的に文盲であり、「知的に不正直」であり、他の無数の欠陥や弱点に加えて、知的エゴイズムを丸出しにする輩だと論じている。当然、これらの批評家はID派の研究の存在を無視するが、しかも皮肉にも、「ID派は厖大な量 の経験的証拠を積極的に無視しなければならなかったのだ」などと責めるのである。

彼らのIDに対する論難が歴然たる虚偽であるのは言うまでもない。しかし、いったいここでは何が起こっているのだろうか? ここでInna KouperとDale L.Sallivanの論文(リンク)に戻って彼らの言葉を借りるなら、ここにあるのは「あざけり」「侮辱」「感情的で侮蔑的な評価」「揶揄を並べ立てて笑い物にすること」「自分の正しさを証明するだけでなく、理性的で立派な者たちからなる自分たちのグループを、間違った、頭の悪い、総じて取るに足らぬ 者たちのグループから区別すること」「共同体にとって危険となりうる出版物の権威を貶めること」などである。

これが、ケンブリッジ大学出版とかルートレッジといった名望ある出版社から出される多くの反ID出版物に我々が見る、厳正と礼儀のレベルである。もちろんここに挙げなかった多数の他のID批判も含まれる。
本当に心から真理を求めるID推進者たちは、こういったことすべてに勇気をいただく強力な理由をもつ。もしこれらが、IDに対する最高峰の学問的批判者からくる反論の質であるとするならば、我々はIDの主張が強力なのだという自信をもつことができる。万一、我々の反対者が何か別 に言うべき重要なことをもっていたとしても、それはこの時点ですべて出尽くしているものと想定してよい。

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