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新DVD Metamorphosis(生物の変態)プレビュー所感

David Klinghoffer
May 18, 2011

先日夜、私は9歳になる長男Ezraとともに、新しく制作されたIllustra Media社の作品Metamorphosis を見た。この子がビデオ映画に求めるのは、ほとんどきまってロボットが空を飛んで物を爆破する類のものなので、私は最初、青虫が這いまわって蝶に変身し、やがてメキシコに飛んでいくような映画には、彼は関心を示さないだろうと予想した。光り輝くオレンジと黒の「オオカバマダラ(Monarch)」蝶が、何の案内もなしに見事に大陸を越える旅の途中で、何かを破壊するわけでないのは言うまでもない。

にもかかわらず、エズラは私と同じように終わりまで釘づけになって見ていた。このことはMetamorphosisが年齢層を超えて大ヒットすることを予想させる。

6月15日にDVDの形でリリースが予定されているMetamorphosisは、Privileged Planet, Unlocking the Mystery of Life, Darwin's Dilemmaに引き続くイラストラ・メディアの新作品である。これらの映画を総合してみると、イラストラ社のプロデューサーでドキュメンタリー制作者のLad Allenは、インテリジェント・デザインを世に知らしめる最も手軽で、視覚的に圧倒的な材料を提供したと言えるだろう。

もしあなたが、何も知らない、手を振って退けるような友人や家族、つまりダーウィニズムへの挑戦を危険なことのように思う類の人たちの心を、こじ開けようと思うならば、おそらく、600頁もの大著Signature in the Cellや、それほど厚くはないがDarwin's Black Boxのような本を彼に奨めるよりは、アレン氏のDVDの1つを選んで見せる方が効果 的であろう。

中でもこのMetamorphosisは、最初に見せるには、最上の選択と言えるかもしれない。というのはインテリジェント・デザインの主張は、3段目の最終場になって初めて現れるからである。それまでは、押しつけがましい所もなく、豪華で脅威を与えない大自然の映画が展開され、来るべき第3場のヒントだけを与える。第1場では、青虫がさなぎとなり、それが分解してバターの塊のようになり、すみやかに自らを再編成して完全に異なった昆虫すなわち蝶になるという、うっとりするような魔法の順路に焦点が置かれている。

類比として、かわいらしい連続画像が、フォード社の車「モデルT」が砂漠の道を走る様子を示し出す。車は金切り声をあげて止まり、自分の周囲にガレージを建てて引きこもる。その内部で、車は急速にバラバラに崩れ落ち、脱ぎ落された構成部品が自力によって全く新しい、これまでより素晴らしい乗り物へとリサイクルされる。ピカピカの現代的ヘリコプターがガレージの扉から姿を現し、羽音とともに空へと飛び立つ。

第2場では、特定の蝶「オオカバマダラ」が、冬を過ごすメキシコの火山の宿営地へと旅立つ様子を追うことになる。この旅は、前年そこへ行った、たった一匹の生きたオオカバマダラもその群れにいないにもかかわらず、毎年、正確に行われる。経験のあるのは、ただ遠い先祖、祖父母や曾祖父母だけだが、この昆虫の短いライフサイクルを考えれば、彼らはすべて死んでいる。オオカバマダラは、精巧な体内地図と案内機構の導きに従うのだが、それは昇る太陽の角度の計算と、目指す山脈の鉄を含む鉱物の磁気の引力に依存している。

これらを説明しコメントしている専門家としては、CSCの研究員で生物哲学者のPaul Nelson、 Biologic Instituteの発生生物学者Ann Gauger(ゲイジャー)、フロリダ大学の動物学者Thomas Emmelらがいる。この映画は、変態にしても移動(渡り)にしても、盲目的に手探りするようなダーウィン式の自然選択によって、ある動物の特性が生まれるというようなものではないことを主張する。どうして導かれない一歩一歩の過程が、変態という本来的にオール・オア・ナッシングの命題を構築することができるだろう? ゲイジャー博士が指摘しているように、ひとたび、青虫がさなぎの状態に入れば、後戻りはできないのだ。それは完全に形成された蝶として現れるか、死んだ青虫の液状の死骸として現れるか、どちらかである。

この映画に不満があるとすれば、それは進化論義に当てられた時間が短かすぎることである。いったいダーウィニストはこれにどう反応し、ID寄りの専門家はそれにどう応ずるのか、見たいものである。

もちろん、ラッド・アレンの映画がこの問題を初めて扱ったのでないように、これが問題への最終的解答ではなかろう。蝶について特によく考えたのは、あの[ダーウィニストと誤解されている]進化論の共同発見者アルフレッド・ウォーレスだが、彼はここから、動物の最も不思議な特徴を説明するのに、自然選択は十分ではないと考えるようになった。半世紀前の蝶学者で小説家のウラジミール・ナボーコフのように、ウォーレスは蝶がその翅を飾る驚くべき、無償の(純粋な)芸術性に注目した。

The Wonders of Lifeの中でウォーレスは、これはデザインされ意図されたものとしてのみ満足な説明ができる、「何か導く力、ある至高の心が、自然の盲目の力を指令し組織して、この驚嘆すべき生命の展開と美を作り出したと認めざるをえない」と書いている。蝶は、私の息子の好きな映画のロボットのように、悪者を懲らしめたりはしないが、ウォーレスを曲解しようとする人たちを懲らしめる。

もっと微妙なことは、青虫の変身は生命のより深い真理を暗示するもので、生命は単に機械や機械仕掛けに、機械的なぞとして加えられたものでないということである。古代の哲学者や神秘家は、「動物の魂」というものを、人間を動物と区別 する魂とは別のものとして語った。「動物の魂」とはこの見方では、受胎とともに親から受け継がれ、いろんな機能の中でも、身体を作り上げていく方法の指図に関与する生命力である。

これを魂として語ることは、そこに目的、意図、インテリジェンスを認めることである。これこそ、蝶がさなぎとして過ごす二週間の間に働いているものだろう。もちろんダーウィニズムが生きた機械の構築を説明するのは困難である。これはそれ以上のもっと偉大なもの、唯物論的進化論ではとうてい扱うことのできない何かである。

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