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ディスカヴァリー研究所は悪の機関?

David Klinghoffer
September 26, 2010

もしあなたがIDとかディスカヴァリー研究所とかダーウィン懐疑者一般 をバッシングしようと思えば、どんなことでも好きなように、たとえどんなに滑稽なことでも言うことができ、ダーウィン合唱団はこぞってこれをハレルヤで歓迎し、あなたが言っていることが事実かどうかをチェックする気はまったくない。ウエブサイトHuffington Postに、科学ライターのJohn Farrellが稚拙な文章で初登場し、ダーウィニズムの不吉な人種闘争テーマについて語るジョン・ウエストに喧嘩を吹っかけている。(Bad Faith (in Science): Darwin as All-Purpose Boogey Man? 科学への不信:万能の悪の人間としてのダーウィン?)この記事が読者の琴線に触れたらしく、現時点で1266通 のコメントが寄せられている。

ファレルは言う――

ウエストは、彼の読者に、ダーウィンの人種差別 には殺人的な含みがあったこと、したがって、進化科学は疑わしいものでなければならないと理解させようとしている。

ファレルのつもりでは、ウエストは読者に「思わせよう」「信じさせよう」としているということで、「理解させよう」ということではない。これは彼が実はウエストに同意していることを暗示するだろう。しかしファレルのもの書きとしての欠陥は問わないこととして、この文の後半は明らかに間違いで、作り上げた像を攻撃している。ファレルにお願いするが、ジョン・ウエストが書いたものの中にそんなことを言っている箇所、つまりダーウィン科学は悪を正当化し奨励するのに都合がよいから、そのこと自体によってこの考え方が科学として「疑わしい」ものになると言っている箇所があったら示してほしい。理性的な人間ならおそらく誰でも言うことは、古典的ダーウィニズムの人種差別 的要素は、それが歴史的に邪悪な利用を招いた事実とともに、この科学に対して別 の、新しい客観的な眼を向けさせる十分な理由になる、しかしその科学的長所自体は厳密に評価する、ということであろう。これはファレルが、ウエストのものとする戯画化されたスタンスとは非常に異なっている。

ファレルはさらに、『人間の由来』の有名な箇所を長々と引用する。それは人種をサルに近いか遠いかの順序に並べ、サルに最も近い人種――「ニグロとオーストラリア人」――は「絶滅し」、現在よりもっと大きなギャップが「文明化した」人間とより下等なサルの間に生ずるだろうと予言している箇所である。

この一節の解釈について疑問の余地はない。これが人をぞっとさせるのは、第一に、ダーウィンが人種殺戮を人間歴史の不可避の成り行きとして示していること、第二に、彼がその事実(彼が事実と見るもの)に対して感情を動かさないことである。にもかかわらず引用に続いてファレルは、この箇所の明らかな意味を転倒させて平然としている。「ダーウィンのポイントは」と彼は教えている、「結局はこれらの人間群populationsもまた、彼の自身のコーカサス人種をさえ超えて文明化するだろうということで、結果 として生ずる人間とその親戚たちの間のより大きなギャップは、人間群に存在するより大きな文明の段階によるものだということだ。」

アフリカ人はダーウィンの見方では今より文明化するとして、では、どうやって? 死ぬ ことによって、ヨーロッパ人に殺され尽くすことによってではないのか? 明らかにダーウィンの語っているのは実はそういうことだから、彼の自信に満ちた予言において人間とサルの間のギャップが大きくなるのは、「より低い」人間と「より高い」サルが絶滅させられることによってである。ファレルは読むことも書くこともできないのだろうか? もし彼が読めるなら、リチャード・ワイカートの、ダーウィンの絶滅思想についての要領を得た明瞭なコメントを一瞥するがよい(リンク)。これはデズモンドとムーアの近著Darwin’s Secret Cause (ダーウィンの秘密の大義)によってさえ確認されている見方である。彼らの見方では――これはダーウィン弁護者の間でさえかなり権威あるものだが――ダーウィンの考え方がそのような不吉な方向を取るようになったのは、彼が1838年にマルサスを自分に取り入れてからのことである。

ファレルは「これらの止めどもないイデオロギー的ダーウィン攻撃」を歎き、ディスカヴァリー研究所は「進化生物学の創始者たちの人格と動機に泥を塗るものだ」と結論付けている。これもまたウソである。私の同僚の誰一人として、ダーウィンの人格――彼の品行方正、家庭人として優しさ、個人的な親切心、奴隷制の悪に対する純粋な関心――を疑う者はいない。しかしアフリカ人の奴隷化に反対することは、彼らを自分の同等者とみなすことを意味するものでなく、彼らの究極の「絶滅」を驚くような無関心さで予言することを妨げるものでもない。動物への残虐に反対するからといって、動物を自分と同等に見るわけでないのと同じである。

すべてこれはわかりやすい話である。これは、あまりにも多くの学者があまりにも明瞭に何度も述べてきたことなので、ファレルのような人がこれを理解できないというのは、どうにも不可解である――彼も彼を崇拝する読者たちも、実は理解したくないのだと解釈する以外には。もし私の判断が誤っているなら、Huffington Postに自分の見解のさらなる説明を発表していただけると、私は有難い。私の経験では、このサイトでは反対の見解を述べることは禁止されている。

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