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単純な論理(とデータ)がPZマイヤーズの「ジャンクDNA」論を退ける

Jonathan McLatchie
July 8, 2010

数週前、PZ Myersがいわゆる「ジャンクDNA」についてコメントした。「ジャンクDNAはやはりジャンク(ごみ)である」という題のもとにマイヤーズはこう書いている――

ENCODEプロジェクトは2年ほど前に学界をあっと言わせた(注:ENCODEはEncyclopedia Of DNA Elementsの頭文字、2003年発足)。これは人間のDNA鎖の配列とは何であったかを問うだけでなく、分析し、注釈し、それが何をしているかを見極めるための巨大プロジェクトである。驚くべき結果 の一つは、分析されたDNAのセクションにおいて、そのDNAのほとんどすべてがRNAに転写 されていたことである。このことが創造論者や大衆報道をいわれのない興奮の渦に巻き込み、酵素群がそれを一生懸命RNAに転写 しようとしているのなら、もしかしたら、こうしたジャンクDNAはすべて、全くジャンクではなかったのかもしれないということになった。これは間違った想定であった。John Timmerが指摘したように、ゲノムはノイズの多い場所であり、転写 物は進化的に保存されないという観察と相俟って、これらは機能をもたない転写 物であったことを示した。

しかし非束縛的に見える要素が、必ず機能をもたないかのように言うのは正しいだろうか? 進化上の保存は、遺伝的要素の機能性を予言する確実な理由であるように思える。常識的な推理から言っても、もしあるDNAの配列が有用な機能を果 たしていないとすれば、それは中立の変異をランダムに蓄積することだろう。しかしその配列が長い間、変わらず保たれているなら、それは、何らかの安定的選択が、その機能を維持するために起こっていることを意味するだろう。配列の保存は機能を暗示する。これが普通 の推理である。

しかし非保存が、なぜ非機能を意味しなければならないのか? 単純な論理の法則は、逆が真理であるとは限らないことを教える――

「外で雨が降っているのなら、前の芝生は濡れているだろう」の逆は、「外で雨が降っていなければ、前の芝生は濡れていないだろう」となるが、もちろん後者は必ずしも真理ではない。例えば、芝生は雨以外の原因によって濡れることがあり得る――スプリンクラーとか、夏の暑い日の水かけ遊びとか。雨が降っていないからといって、芝生が乾いているに違いないことにならない。

だから単純な論理によって、マイヤーズの推論が誤っていることがわかる。しかし最も重要な問題は、データがどう言っているかである。非保存的要素と非機能性を結びつける想定は、完璧な推定と言えるだろうか? 

主導的研究者たちの報告からも、彼らがマイヤーズ見解と食い違っていることがわかる。

ネイチャー誌に発表されたKunarsoその他による研究報告はこう言っている――「配列の保存が、ゲノムにおける機能する制御的要素を予言するものとして役立つことは証明済みだが、Kunarsoその他による観察は、ひるがえって、すべての機能する制御要素が配列的束縛に現れるという想定は、正しいとは言えないことを思い出させるものだ。」

こうした研究結果はこれだけではない。ENCODE計画コンソーシアムによる2007年発表の別 の論文は、ENCODE計画の成果を詳細に報告しているが、これは人間ゲノムの機能するすべての要素を探求してきた公共的研究団体によるものである。この研究も同じような報告をしている――
ENCODE計画の出発当初は、多くの研究者が、実験的データを幅広く集めれば、  それらは沢山の哺乳動物の配列を比較することから得られた詳しい進化的情報としてきちんとまとまり、それぞれがその生化学的機能についての増えていく注釈のついた、保存されたゲノム要素のきちんとした「辞書」を提供するだろうと考えていた。ある意味でそれは達成された。すなわちENCODE領域の束縛された塩基の大部分は、現在、少なくとも何らかの実験的に得られた機能についての情報と連合している。しかし我々はまた、実験的に突き止められた機能的要素で、進化的束縛を欠く驚くべき大量 の例と遭遇することになった。そしてこれらは専門的理由で退けることのできないものである。おそらくこれがENCODE計画の先端的側面 の最も大きい驚きであり、それはゲノムによって与えられる機能の多くをもっと「中立的に」(決めつけないで)見るように我々に忠告するものである。(強調引用者)

したがって、進化的束縛は機能を推論するのに使われてよいが、その逆――非束縛は非機能を意味する――が真理であると考えるべき理由はないようである。

DNAのRNAへの(ENCODE計画の研究によれば)ほとんど全面 的な転写と思われるものについてコメントして、マイヤーズはさらにこう述べる――

創造論者はこれは驚くべきことだと考えた。彼らはジャンクDNAという観念、すな わち神々が無駄 なゴミを我々の貴重なゲノム全体に意図的に巻き散らすだろうという考えを、ありえないとして忌み嫌う。だからそれが現実に何か有益なことをしているかもしれないという兆候が少しでもあると、それは目的をもったデザインの証拠だとして大喜びで飛びつくのだ。

「創造論者」とマイヤーが言っているのは、多分、進化のメカニズムについての伝統的なネオダーウィニズムの、非目的論的な理解を疑う者すべてを指すのだろう。私はこのレッテル貼りはよく言っても誤解のもとだと思うが、それはわきに置くことにしよう。

マイヤーズは、いわゆる「ジャンクDNA」についてのID(とダーウィニズム)の立場と予言を正確に述べようとしていない。ダーウィニズム(とほとんどの非目的論的考え)の予言は、ゲノムは意味のない広大な海の中に、意味のある島をとびとびに示すはずだというものである。結局、もしゲノムが導かれない、心をもたない偶然と必然の過程によってつなぎ合わさったものだとすれば、ゲノムに大量 のノイズが存在すると予想するのは理にかなうことであろう。しかも、共通 祖先という中心的主張の一つとしてしばしば提出されるのが、想定された「ジャンクDNA」の相同的(homologous)分配である。こういった要素に機能があることが示されるたびに、ダーウィニストの議論は、ゲノムについての我々の知識のますます小さくなっていく隙間に逃げ込んで、後退しなければならない。

マイヤーズは、一か月ほど前にPLoS Biologyに出たばかりのBakelその他の論文を引用して、これをフォローしている。この論文のアブストラクトはこう述べている――

人間ゲノムは10年前に配列が決定されたが、その正確な遺伝子構成は論争の的として残っている。タンパク質をコードする遺伝子の数は、最初に予想されたよりはるかに少なく、明瞭な転写 物の数は、タンパク質をコードする遺伝子の数よりはるかに大きい。その上、与えられた一定の細胞種の中で転写 されるゲノムの割合は疑問のままである。すなわち開発中のマイクロアレイ遺伝子発現解析によれば、転写 は全体にわたる(pervasive)ものであり、ゲノムの大部分が転写 される。しかし新しい深層配列に基づく方法は、ほとんどの転写 物は既知の遺伝子から発しているらしいことを示している。我々はこの不一致を、同じ組織からのサンプルを、両方の技術を用いて比較することによって調べてみた。我々の解析によれば、RNA配列決定は低い発現レベルの転写 物についてより信頼できるらしいこと、ほとんどの転写 物は既知の、またはほぼ既知の遺伝子に対応していること、多くの転写 物は新しいエキソンか転写過程の異常産物でありうることがわかった。我々はまた、既知の遺伝子の外に位 置する数千の小さな転写物を突き止めた。それらの配列はしばしば保存され、しばしば開かれた染色質の領域にコードされている。我々はこれらの転写 物の大部分は、長い間隔の遺伝子制御サイトの一部として、プロモーター(promoters)の役割の一部を担ってそれと連合する、エンハンサー (enhancers) の活動の一部ではないかと提案する。しかし全体的に言って、ゲノムのほとんどは、はっきりわかるほどに転写 されるものでないことを見出した。

たとえ我々がマイヤーズの前提(DNAの大部分はmRNAに転写 されないという)を認めるとしても、それでも転写されない要素が「ジャンク」だということにはならない。Developmental Cellに発表された2008年のSwinburneとSilverによる論文で、研究の結果 、イントロンはそれが転写されない場合でも、機能をもつことができるという証拠が明らかにされた。この論文は転写 の遅れが、発生のさいに必要なタイミングのメカニズムに貢献しているかもしれないと論じている。

最低限言えることはこうである――あるDNAの要素は決してmRNAに転写 されないという一般化する主張をするときには、注意することが望まれるということ。当然、いくつかの選ばれた例あるいは細胞腫においてある領域が転写 されるということを、ルール外れとして認めないなどと言うことはできない。

かつてジャンクと考えられていたDNAの機能が、ほとんど日ごとに明らかにされつつある。「ジャンクDNA」問題については、成り行きを見守るというアプローチが、より科学的なのではあるまいか?

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