Evolution News & Views

ネイチャー誌「第二の遺伝コード」を認めるも、IDの意味合いを無視

Casey Luskin
May 6, 2010

先月ロブ・クラウザーが、ネイチャー誌に載ったジャンクDNAという考え方に反対の、あるニュース記事についてここに書いた。新しい「ネイチャー・ニューズ」ストーリー「コードの中のコード:RNAの複雑性に取り組むコンピューター生物学者たち」によれば、科学者たちは今や、我々の細胞内にタンパク質をつくり出す過程の複雑性を理解し始めた。この記事は、人間のテクノロジーにおいてハードウェアとソフトウェアの間に通 常見出される区別は、生物学では崩壊するのであって、そこではRNAのような分子はメッセージを伝えるとともに、それらのメッセージ処理を促進することもできる――「第二の遺伝コード」または「スプライシング(連結)・コード」として――と報じている。

遺伝コードの最も美しい様相の1つは、その単純性――(4文字ある)DNAの3文字が、手軽な表で簡単に示される64通 りの組み合わせを作り、それが20種類の一定のアミノ酸をコード(指定)し、それらが結合して1つのタンパク質を形成することである。しかしDNAとタンパク質の間にRNAがきて、複雑さの領域が拡大する。RNAは形を変えることができ、時には遺伝メッセージの運び屋にもなれば、時にはそれらの制御をも引き受け、その機能に応じた多様な構造を取ることがきる。本号に発表の論文(p.53)で、カナダ、トロント大学のBenjamin BlencoweとBrendan Frey率いる研究チームが、2つ目の遺伝コードを確定する最初の試みを報告している。それは、与えられた遺伝子から転写 されたメッセンジャーRNAの切片が、どのように混ぜ組み合わせられて、異なった組織に多様な結果 を生じさせることができるか――alternative splicing(選択的(別 様)スプライシング)と呼ばれるプロセス――を予言するものである。このときには単純な表はない。その代わりに、200以上の異なったDNAの特徴とRNA構造の予言を結びつけるアルゴリズムがある。

この記事は更に、多くの小さなRNAが遺伝子発現を制御しているかもしれないと説明している――

RNAを理解しようとする熱意の多くは、タンパク質をコードはしないが、遺伝子発現を統御することのできる小さなRNAを発見することに動機づけられている。この追求が行われているのは、こうしたRNAとそれらの目標の目録を作るためで、この探求は、アルゴリズム・デザインの進歩とゲノム配列の蓄積に助けられている。これによって研究者は遺伝子の間に大きく広がった領域を調べることが可能になる。多くの種におけるこうした区域の保存は、それらが重要な機能を果 たしていることを暗示するものだ。

我々のゲノムの多くが役に立っていないと主張する人々に反論して、この記事は、「ヒトゲノムの95%が別 様にスプライスされており、このプロセスに変化が起きると多くの病気を引き起こす」と報告している。実際の研究論文は、この活動の多くは細胞と組織のタイプを決定するのに役立っているが、この「スプライシング・コード」の複雑さは人をたじろがせるものだ(mind-boggling)と言っている――

選択的スプライシングは生物の複雑さをつくり出すのに決定的な役割を果 たしており、 人間の病気にはしばしば、この制御ミスが関与している。ここに私たちは「スプライシング・コード」の集積について説明するが、これは何百というRNAの特徴のコンビネーションを、何千というエキソン(コード領域のコードする部分)に対する選択的スプライシングの、組織によって変わる変化を予言するために用いるものである。このコードは、新しいクラスのスプライシング・パターンを決定し、異なった組織の個別 の制御プログラムを同定し、変異によって証明される制御配列を同定する。広範囲の制御戦略が明らかになるが、その戦略には、諸特徴の思いがけなく幅広いコンビネーションが用いられていること、特定の組織の特徴に克服される低いエキソン含有レベルが確立されていること、従来その価値が理解されていたより深くイントロン(コード領域のコードしない部分)にかかわる特徴が見られること、転写 構造の性格によってスプライスの変種レベルが調整されること、などが含まれる。このコードは、それが含まれることによって、無意味に媒介されたメッセンジャーRNAの崩壊を活性化させて、成人の組織では発現を抑止するが、胚発生の期間にはそれが除かれることによって、その発現を促進するあるクラスのエキソンを突き止めた。このコードは、制御される選択的スプライシングという、ゲノム全領域スケールの出来事の、発見と詳細な性格付けを容易ならしめるものである。
(Yoseph Barash, John A. Calarco, Weijun Gao, Qun Pan, Xinchen Wang, Ofer Shai, Benjamin J. Blencowe, & Brendan J. Frey, “Deciphering the splicing code,” Nature, Vol. 465:53-59(May 6, 2010).)

「第二の遺伝コードを解読する」という似たタイトルのNature印刷版に載った要旨が、この研究を次のように要約している――「ちょっと見たところ、すべては単純なように見える――DNAがRNAを作り、RNAがタンパク質を作る。しかし現実ははるかにもっと複雑だ。・・・このコードは、細胞の自律的やり方で機能するもののようであり、従って、哺乳類の200以上の種類の細胞を説明するのに必要かもしれない。」そこで我々が生物学で発見しつつあることとは:――

*生化学的言語を用いる「美しい」遺伝コード
*「拡大する複雑さの領域」を示すコード内部の更に深いコードの層
*従来考えられていたよりはるかに複雑な(複雑なことはすでに知っているが)情報処理システム。「従来その価値が理解されていたより深くイントロンにかかわる特徴の現れ」はその一つ。

スプライシング・コードに関するNatureの論文は、理解するだけでも複雑なコンピューター・アルゴリズムの必要な、我々の細胞のタンパク質生成機能の証拠を報告しているが、信じられないのは、ほんの2日前に発行された同誌のある論文が、「人間とはなんとずさんな作品であることか」(What a shoddy piece of work is man)と題されていることである。この通 りで間違いではない。あきれたことに、この論文はこの同じタンパク質生成のプロセスを欠陥と称して、インテリジェント・デザイン(ID)を攻撃するために用いている――

広く存在するイントロン――タンパク質への翻訳の前に、転写 された遺伝子からもったいなくも切り離されなければならない配列――は潜在的に有害なやっかいものであるように思われる。しかも多くの制御機構が、遺伝子活動の諸問題を繕うために必要なのである――例えば、不完全に転写 されたmRNA(メッセンジャーRNA)――タンパク質合成のためのテンプレート――を抑止あるいは破壊することによって。制御の故障は病気を引き起こす可能性があるのだ。

サイエンティフィック・アメリカン誌が「イントロンの重要性を認めなかったことは、分子生物学史における最も大きな過ちの一つとして語り伝えられるだろう」と論じたこと、そしてBarashらの論文が「従来その価値が理解されていたより深くイントロンにかかわる特徴」を見出してその趨勢を推し進めたことを明らかに忘れて、「人間とはなんとずさんな作品であることか」の編集論説は、更に進んで「これらの故障は…まさしくダーウィン進化論から予想されるものである」と論じ、「どうしてこうした監視が必要なほどに、ゲノムを下手にデザインなどするだろうか?」と問うている。

ロースクールで製造物責任法を学んだ弁護士として、私はこのような驚くばかりの浅はかなID批判の間違いに、いつもあきれている。Tort法は、製造業者に責任を嫁すべき製品欠陥のさまざまな類別 を認めている。その一つはデザインの欠陥で、デザインそのものに根本的な欠陥がある場合である。もう一つは製造の欠陥で、その標準的デザインは機能的に完全だが、ときたま過ちによって製造工程からあるユニットが落ちている場合である。

両方の場合とも、製造業者が厳しく責任を問われる典型的なものだが、明らかに前者――根本的な常に存在するデザインの欠陥――の方が、後者――ときたまの製造過程のミス――よりも消費者に対してはるかに大きな迷惑を及ぼすだろう。ところがNatureの言っている「病気を引き起こすかもしれぬ 故障」とは後者に似たもので、製造業者のエラーでもより深刻でないもの、デザインは基本的に最適値を取るが、ときにはうまくいかない場合があるのに相当する。

このような故障や病気の存在はIDを論破するものだと主張するのは、昔からある悪の問題に関する神学的反対を持ち出すのと変わらない。実はこれこそNatureが、デザインの欠陥は「大昔の(悪の存在は神の存在と矛盾しないとした)弁神論的挑戦にまで遡る」問題だというある科学者の言葉を引いて、自ら認めている主張である。しかしこの議論は、科学的なID弁護に対して全く何の痛痒も与えない。(また、この問題への何千年にわたる神学的解決を見て見ぬ ふりをしない限り、伝統的な有神論的神観を論破するものでもない。)製品の欠陥の存在は、必然的に知的デザイナー、すなわち製造業者がその工程の背後に存在しないことを意味するだろうか? もちろんそんなことはない。

そして製造業者が間違いをチェックする機構――ちょうどNatureが、細胞の中のデザインでない「監視」機構として貶めているもののような――を用いるとき、それらの品質管理手順もまた知的にデザインされたものでないのか? 品質管理機構の存在がデザインを論破するなどということがあるだろうか? すべてのそうした機構はそれ自体デザインの産物であるのに、品質管理機構の存在がデザインを否定するとは、とうてい考えられないことである。

ここでの教訓は、NatureはIDを扱うときよりも、生化学の複雑な詳細を解説するときの方が、はるかに慎重に注意を払っているということである。ある日にはNatureは、タンパク質創造プロセスの過ちチェック機構は、IDを論破する不必要な「監視」を必要とすると言うかと思えば、その2日後には、「遺伝コードの美しい姿」と、タンパク質を生成する過程の内なる働きを我々がもっと深く学んだときに明らかになる「拡大する複雑さの領域」に驚いているのである

少なくとも言えることは、我々が生物学を学べば学ぶほど、ますますDNAやRNAの大量 の隠れた機能の証拠を発見するということである。また、タンパク質や組織や細胞の種類を創りだすプロセスの既知の複雑さの、劇的な増加をも発見しつつあるということである。Natureは、IDを攻撃する間違った議論(大いなる偏見をもって「宗教的創造論の疑似科学的見かけ」と彼らが呼ぶもの)を用いることには熱心だが、その面 前で生じているIDの莫大な証拠を見逃しているのである。

とは言え、もし自分の問題を認めることがその解決へ向かう第一歩であるとするなら、かすかに希望の灯は見えている。論文「人間とはなんとずさんな作品であることか」はこう述べている――

しかしながら――これがIDの窮地を救うように見えるとしたらとんでもないことだが――Aviseの数え上げるゲノムの非能率さのいくつかが、まだ不十分にしか理解されていないことは指摘に値する。我々はそれらを欠陥(flaws)として片づけることに慎重であるべきだ――ますます生物学的役割を果 たしているように見えてきたゲノム素材を「ジャンクDNA」と名付けたことに明らかな、同じ間違いをしないように。ゲノムがこの上なく優れた工学技術の例として今後浮かび上がる見込みはなさそうだが、しかし我々はまだ十分に理解していないものを、早まって悪く言ってはならないだろう。

「ますます生物学的役割を果たしているように見えてきたゲノム素材を『ジャンクDNA』と名付ける」ことが間違いであったと認めることによって、Natureは、生物学の複雑性をあからさまに否定するダーウィン精神構造が、科学を間違った方向へ導いていること認め始めた。

一つはっきり言えることがある。Natureは、「ゲノムがこの上なく優れた工学技術の例として今後浮かび上がる見込みはなさそうだ」といった編集者の主張を、読者が真面 目に受け取るものと期待してはならないということである。その2日後には、我々のDNAの「コード内部のコード」を報告するもう一つの論文を発表しているのだから。

このような依怙地に盲目的で偏見に満ちたIDの扱いが、世界で最も権威ある科学雑誌から来ているとしたら、IDが公平に耳を傾けてもらうためには、Bio-Complexityのような雑誌が必要になるのは当然であろう。IDを少しでも真剣に受け止めることを拒絶してきたことによるNatureの窮地を、我々が救ってやるなど、とんでもないことだ。

最新情報INDEX