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書評:スティーヴン・マイヤー著『細胞の中の署名(Signature in the Cell)』

評者: Ken Peterson
Spectrum Magazine
October 6, 2009

今年はチャールズ・ダーウィンの『種の起源』出版後150年目に当たる。この本は、ダーウィン説の有効性と範囲についての時には猛々しい議論となってきたものを際立たせている。Stephen C. Meyerの新著Signature in the Cell: DNA and the Evidence for Intelligent Designは、時間をかけて起こる種の変化が主題ではない。むしろそれは、ダーウィンが彼の著書で本当の意味で関与しなかった、生命の起源に関する何千年にもわたって繰り広げられてきた、はるかにより古い論争に関わるものである。この古来の論争はしばしば、唯物論的自然主義(時間プラス、ランダムな導かれない偶然)か神かという本質的に二極の間の論争である。

例えば、この論争の基礎が聖書の中に示されており、数世紀にわたって展開してきたのを見ることができる。簡略のために「創世記1:1」(初めに神は天と地を創造された)と「箴言14:1」(愚か者は心の中で神はないと言ってきた)だけをあげることにする。1859年以来150年の間、支配的な科学体制は、一般 的にそして特に起源に適用されるものとして、「唯物論的自然主義」モデルを完全に取り入れてきたと言ってよい。

『細胞の中の署名』はこの起源論争を、特に50数年前のDNAの発見と、その後厖大に増大した細胞生物学や情報理論の知識の観点から、再び取り上げようとするものである。マイヤーはこれを、彼が「DNAの謎(DNA enigma)」と呼ぶものの理解を目指す彼の個人的な旅という形で展開する。この謎とは「最初の生きた生物を組み立てるのに必要な情報の起源の神秘」である。そのような最初の生物が現れるまで、ダーウィン進化論は始まることができない。

したがってマイヤーの本は、もし彼が証明の重荷をうまく運ぶことができるとすれば、おそらくコペルニクスが566年前に、地球が宇宙の中心だという優勢な科学的観念に挑戦して以来の、最も重要な著作の一つになるだろう。この本でマイヤーは、生命は純粋に導かれない唯物論的・自然主義的諸力によって、知性(intelligence)不在のところで生じたという、今日の科学体制の中心的教義に筋道を立てて挑戦している。

この本は600頁以上の大著だが、最後の100頁は脚注と参考文献と索引である。シアトルにあるディスカヴァリー研究所の「科学と文化センター」の現在、所長であるマイヤーは、1980年代半ば、科学史と科学哲学の博士号を取る傍ら、ケンブリッジ大学にいたときの様子を語る。彼はさまざまの関連する問題を調べ、答えを出すのに必要な証拠を整理するための冒険の旅を始める。文章は明快で直線的。非科学者には、彼が提出する詳細を与えられても必ずしも分かりやすいわけではないから、寝て読むような本ではない。しかし私が特に感心したのは、彼が自分と意見の違う人たちに敬意をもって、心を開いて当たっていることである。物語は読者を惹きつけ、彼と共に分かちあう魅力ある歴史は、今日の論争のコンテクストを知るのに役に立つ。

本書は関係する多くの問題を年代記的に説明しているが、特に関心を惹かれたのは、ランダムな偶然と、「単純な」生物が機能するのに必要最小限のタンパク質部品の組み立てを論じている部分である。マイヤーによれば、「最も単純な存在する細胞Mycoplasma genitalium――人間の尿道に住むごく小さいバクテリア――は必要な機能を果 たすのに、“たった”482個のタンパク質しか必要としない。」もし20種類の生物学的に生ずるアミノ酸が、それらがタンパク質の組み立てブロックを形成するとすれば、これらのアミノ酸は、「働く」ことのできる何ものかを作るためには、ある決まった特定の配列に集合しなければならない。まず最初に、そこに「ペプチド」結合が生じなければならないが、これは実験ではおよそ半数回しか起こらないようである。したがって、ペプチドのつながりだけを持つ150箇のアミノ酸鎖ができる確率は10の45乗分の1にすぎない。

しかも生物を作るためのもう一つの要請は、アミノ酸が「左利き」のものでなければならないことだ。ところが「無生物的アミノ酸製造」においては、右利きと左利きのアミノ酸が等分に生ずる。だから、左利きだけを持つためには、150個のアミノ酸鎖の間のペプチド結合だけでも、約10の90乗分の1ということになるだろう。その上、機能するタンパク質を作り出すためには、「アミノ酸は意味のある文章の文字のようにつながって、機能的に特定された配列になっていなければならない。」このことが起きる確率は、およそ10の74乗分の1である。だから、一個の機能する150のアミノ酸からなるタンパク質がランダムな偶然によって生ずる確率は、10の164乗分の1となる。もし最低限の複雑な細胞が250の異なったタンパク質を要すると仮定するなら、この配列が純粋に偶然によって起きる確率は10の164乗を250回掛けたもの、つまり10の41,000乗分の1となる。

これはかなり大きな数字で、こういうことが起きることはまずありえないと私には思えた。しかし、いかにありえないかを判断する方法はあるのだろうか? こんな数字は本来「不可能」だと言えるような境界点があるのだろうか? それはあるようだ。マイヤーはこの観測しうる宇宙には、およそ10の80乗の素粒子があると指摘する。ビッグバンが約130億年前だったと仮定すると、それ以来10の16乗秒の時間が経過している。すると、もし1プランク距離を光が通 過するのに要する時間を取ってみると、「何であれ物理的結果 が生ずる最も短い時間」を得たことになる。これは10のマイナス43乗秒であることがわかる。あるいはこれを逆にして、1秒間に可能な最大の相互作用数は10の43乗だということもできる。したがって宇宙の「確率的供給源(能力限度)」(probabilistic resources)は、総秒数×秒あたり総相互作用数×理論上相互作用しうる素粒子数ということになる。計算してみるとこれは10の139乗になる。

もしマイヤーがここでやめて、「導かれないランダムな偶然はたった一個のタンパク質さえ作り出せないのだから(宇宙の総供給源を考えて)、生命はインテリジェント・デザイナーの生み出したものに違いない」と言っただけなら、彼は彼の強く否定する「穴埋めの神」議論に陥ったことになるだろう。マイヤーはそこでとどまらない。そうしないで彼は、「仮説設定的推論」(abductive reasoning)というものを説明し、それによって、ある特定の一つしかない歴史的出来事の「最上の説明」に到達できることになると言う。彼はこれを「歴史科学理論」と呼んでいる。実際マイヤーは、ダーウィンや彼の同時代の地質学の父と言われるチャールズ・ライエルは、彼らの理論を説明するのにそのような推論を用いていたと言う。要するに、「穴埋めの神」論は無知からする議論だが、「最上の説明への推論」は知識からする議論である。もちろん知識は絶えず拡大しており、いかなる結論もそのような進歩に照らして絶えず再評価されなければならない。
私がこの本の出版直後にマイヤーに会って、彼の理論の説明と批判者たちのことを聞いているうちに、多くの唯物論的自然主義の信奉者こそ、無知からの議論をしているのかもしれないと思い当たった。マイヤーはその通 りだと言った。純粋に唯物論的な議論は本質的に次のようなものだと思われる――

前提1:特定された複雑な情報のいかなる唯物論的原因も知られていない。
結論:ゆえに、それはある未知の唯物論的原因から生じなければならない。

これに対してマイヤーは、インテリジェント・デザイン論を次のように説明する――

前提1:徹底的な研究がなされたにもかかわらず、大量 の特定された情報を生み出す能力を示すいかなる物的原因も発見されていない。
前提2:知的原因は、大量の特定された情報を生み出す能力をこれまで示してきた。
結論:知的デザインが、最上の、最も因果論的に有力な、細胞の中の情報の説明を構成する。

マイヤーは、IDに対してこれまで向けられたさまざまな議論を検討するのに2つの章を割いているが、私はある人たちが言っている、IDは反証不可能であり「テスト可能な予言をすることができない」から科学ではない、という反対意見を手短に取り上げることにする。マイヤーは、この反論は完全に間違っている、その理由は特に「大量 の機能的に特定された情報が純粋に化学的・物理的先行条件から確かに生ずる」ことを示すだけで、あるいは特定された情報が「生命体の中に存在していなかった」ことを示すだけで、現実に反証できるからだと言う。予言については、IDのほうが、対抗する唯物論的進化理論よりも「ジャンク」DNAの価値を、よりよく予言できたことをマイヤーは指摘する。

最後に私は、マイヤーが、IDが「宗教的」でないのは他の科学理論がそうでないのと同じことだと説得力ある議論をしていることに触れておきたい。この結論はいかなる想定された「神の啓示」によって要請されたものでもない。またデザイナーを特定するためにいかなる宗教を指すものでもない。それはその結論に到達するのに、標準的な科学的推論と論理の流れを用いており、また説明力があるかどうかを決めるのに、今日知られている最上の証拠に目を向けている。とりわけ、IDは最初の生物を作るのに要求される情報の説明として、地球の年齢とか、アラーやエホバやブラーマに関係があるか否か、聖書が神の言葉か否か、その他宗教教義や観点について何も言わない。例えばビッグバン説のような、根本的な問題を扱うどんな理論とも同じく、確かにより大きな話題のための含意はあるであろうが、このどちらの理論もその結論は、いかなる宗教的観点や教義から要請されたものでもない。

IDについての論争が示すように、体制派科学者はこの見方を嫌悪し、これまでのところ、見かけのデザインに対する真のデザインという話題を恫喝して黙らせるのにかなり成功してきた。マイヤーの大著は、過去50年の生物学、数学、化学の驚異的な諸発見を取り上げ、生命がデザインされているという主張がなぜ完全に科学的であるかを証明するのに、ライエルやダーウィンの承認された科学的論法を用いて展開した最初の著作である。

起源問題の歴史と哲学に、また「体制派」の理解についての現在の論争に興味をもつ人々にとっては、この本は役に立つであろう。DNAや「単純な細胞」のよりよい理解を得ようと思う人々にとっては、これは驚くべき本である。生物の中に見出される特定された複雑な情報の起源の最上の説明とはどういうものかを正直に考えようとする人々にとっては、これはきわめて貴重な本である。どんな理由であろうと、デザインというものが直観通 りに現実のものだという一般の考えに傾いている人々にとっては、あなたの信念には科学的根拠があるのだということをわからせる意味で、これは必読の本である。IDに賛同できない人々にとっては、あなたの論敵の最上の議論を理解するために読むべき、これはきわめて重要な本である。

一つだけ確かなことがある――マイヤーはIDの主張をはっきりと説明する強力で包括的な本を書いたが、生命起源についての議論は決して一律のものにはならないだろうということである。

(ケン・ピーターソンはワシントン州カマス在住の弁護士、アドヴェンティスト・フォーラムとワシントン・ポリシー・センターの委員を務める。)

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