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純粋なるドグマ
By: Cornelius Hunter
June 17, 2009
かつて科学者とは懐疑的なものと考えられていた。すべて科学理論は疑問に付されるべきものだと我々は教えられた。確かに科学者は理論を構築するが、しかし彼らは同時に、たとえそれが自分の理論であっても、理論に反する証拠をも求める人たちのことであった。たしかに自分の理論の問題をさがすというような高貴な行動を求めるのは要求しすぎだとしても、科学者は、矛盾する証拠に逆らってある理論を防衛したり、一般
大衆を誤導したりは決してしないものであった。それこそ科学の究極の裏切り行為であった。科学者は客観的なもので、証拠の導く所へはどこへでも行くというのが普通
であった。
今そのような時代ではなくなった。それは遠い過去のものである。大衆を誤って導くこと、証拠を覆い隠すこと、理論を死守すること、こういったことはすべて科学の標準的なやり方である。今日我々は、どんな証拠でも、進化に矛盾する証拠は許されないという情けない事態を招来している。科学誌「サイエンス」編集者Yudhijit
Bhattacharjeeと進化論伝道者Eugenie Scottの間の、最近のやり取りを見るがよい――
サイエンス誌――この争いは過去20年間にどのように変わりましたか?
ユージェニー・スコット――敵は以前より多様になりました。私が科学者になったころは、それは創造科学(クリエーション・サイエンス)だけでした。現在では、創造科学、インテリジェント・デザイン(ID)、「進化に矛盾する証拠」というだけの単純な形の反進化論があります。
「進化に矛盾する証拠」? 何かそれに悪いところがあるのか? 確かに進化論者にとってはあるのだ。科学とは、進化論者の手の中にあっては、操作することのできる何ものかである。証拠を吟味してみようとする科学者は嘲笑され、相手にされない。進化に疑いをもつ者は敵とみなされる。よからぬ
動機があるのだと言われ、型にはまった反論だとされる。これは純粋なドグマ(絶対的教説)である。宗教が科学を突き動かしているのであり、その宗教が大切なのである。
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