Evolution News and Views

ID論争にかかる霧

By: David Klinghoffer
May 28, 2009

果たし合いのような間柄の2つのウエブサイトが、宗教信者はこれからもずっと「民衆のアヘン」を与えられ続けるべきか否かについて、重要な議論を戦わせている。これはカール・マルクスがすべての宗教を軽蔑するために使った有名な言葉だが、この呼び名が確かにふさわしい一つの宗教がある。それは有神論的進化論と呼ばれるもので、これは要するに、一方で神を信ずることと、他方でダーウィンの盲目的で、頭を苦しめる(churning)、導くものも目的も持たない進化のメカニズムを信ずることが、有意味に調和しうると考える、奇怪な理屈付けをする理論である。

新しくできたウエブサイトFaith and Evolutionは、ディスカヴァリー研究所「科学と文化センター」によるもので、それはあらゆる種類の方法――論説、ビデオ、討論、質疑応答、一般 からの寄稿など――を用いるのが特徴である。

Faith and Evolutionは、Francis Collins博士の有神論的進化論サイトBioLogos(テンプルトン財団による)とは著しい対照をなしている。コリンズ博士とその盟友Karl Gibersonはまた、Beliefnetというブログも開設している。F&Eには、コリンズ博士の考え方を分析する私の記事が出ているので参照していただきたい。F&Eが非常に役立つのは、一方で進化科学、他方でダーウィニズムの及ぼした社会的影響を、ともに議論の俎上にのせていることである。これに対してBioLogosは一方的な説教に近いものである。

コリンズとジバーソンは誠実な福音派クリスチャンであって、ユダヤ教徒である私から見る限り、策謀の意図のないことは明らかだが、にもかかわらず彼らは、宗教的・知的な生活上での、ある陰険な傾向(勢力)を代表するものである。この純粋な民衆のアヘンは、ID対ダーウィニズム論争の論点を覆い隠し、麻痺を起させる霧のような働きをなしている。この霧は、自然におけるデザインという考えと、自然にはデザインがないという考えの間には、実は違いがないのだと考えさせることによって、人を眠りこませようとするものである。

例えば人間ゲノムは、コリンズのベストセラー『神の言葉』のタイトルの通 り、神の言葉で書かれたものだと言う。にもかかわらず、ゲノムは、デザインも知性の導きもなしにランダムに突き動かされる、ダーウィン方式によって生じた場合に想定される「ジャンクDNA」に満ち満ちているのだと言う。では神の言葉なのか、ジャンク(がらくた)の言葉なのか? そう両方とも正しいのだ! もう考えることはない、みんな喜べ!

これが神学的にも、知的にも、科学的にも馬鹿げているばかりではない――それだけならまだましである――これでは策謀にもならない。策謀としてうまくいっているのは、この有神論的進化論という霧発生装置と、メディアによって広まったその影響力が、無数の本来なら考え深い人々に、彼らの頭脳の一部のスイッチを切らせ、ガードを下げさせるように働いていることである。これこそまさにダーウィン・ロビーが必要としているもので、信仰をもつ人々が、信仰を切り崩すような文化的勢力に、満足して一票を投ずるようにさせるのが狙いなのである。レーニンはこのような人々を「役に立つ愚か者ども」と呼んだと言われる。彼は人のいい人間ではなかった。

この効果が最も有効に現われているのは、宗教的かつ政治的に保守的な層においてである。保守層こそ真っ先に、リチャード・ウィーヴァーが言った「観念には結果 が伴う」ということを肝に銘ずべきなのである。ダーウィニズムの、信仰に対する、人間の尊厳と人命の尊さという観念に対する破壊的な影響力、ダーウィン理論が組織化された悪の社会的運動に生命を吹き込んだ不気味なやりかた――これらは、この「科学」をもう一度振り返って批判的に見るべき十分な理由を提供する。ランダムな変異に働きかける自然選択というものが、自然の外にある導きの霊的な力の必要なしに、生命の歴史を本当に説明できるのか? 細胞の中のソフトウエアであるDNAは、本当に自分で自分を書いたのか? 

そうは考えない多くの者たちがいても、知的にも社会的にも、ダーウニズムという聖なる山の境界にあまり近寄らない方が楽なのである。

私の頭にあるのは、出エジプト記19章、ユダヤ人が明日「過ぎ越しの祭り」に聖堂で読むであろう言葉である。神がモーセにシナイ山で「十戒」を与えたとき、神は人々に警告してこう言われた、「この山に登ることも山の境界に触れることもしてはならない、山に触れた者は必ず死ぬ であろう。」

「下りて、人々が主を見ようと境を破って殺到し、多数が死ぬ ことのないように警告せよ。主に近づく聖職者であろうと、主が彼らに怒りを発することがないよう準備をしておかなければならない。」
これはイスラエル人が、シナイ山の啓示を受ける準備をしていた三日目、「雷鳴がとどろき厚い雲が山を覆った」ときのことである。

この聖なる恐れに似たものが、聖なる山頂が雲と霧に隠されたダーウィン山を取り巻いている。人々は恐れてその境界を破って中に入ろうとしない。それはダーウィン思想の権威が彼らに対して怒りを発することがないように、そして多数の者たちが幻の脅迫である「創造論者」の汚名を着せられて、社会的に屈辱を味わわされないようにするためである。

読者は、本当はどうなのか自分で調べてみられるとよい。Faith and Evolutionはいくつかの非常に適切な、アクセスしうる情報を提供してくれる。神話とは裏腹に、この山はすっかり霧が晴れ、登ることが許されている。

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