Evolution News and Views

虫のいい理論――有神論的ダーウィニズム

By: David Klinghoffer
May 18, 2004

Beliefnetというインターネット・サイトは、しばしば進化に関する論説を載せるが、その立場はさまざまであり、私の書いたものから、私とは全く立場の違うBioLogos財団を背景にもつFrancis Collins(前ヒトゲノム解読計画主任でThe Language of Godの著者)のものまで載っている。福音派クリスチャンであるコリンズ博士は、ランダムが原理で計画も導きもない、自然選択というメカニズムによるダーウィン進化論と、神が生命の歴史を創造的に導いたことを前提とする聖書的な宗教の間の和解(両立)を見出そうとする。

私はコリンズ博士に何の恨みもなく、彼の幸運を願うものである。ただ正統的ユダヤ教徒である私は、彼の試みは確かに、ダーウィニズムの突きつける有神論への過激な挑戦を避けた方が得策と考える者には魅力的かもしれないが、全く不可能なことを追い求めるものであると思う。

「有神論的進化論」の魅力の一つは、それがキリスト教徒やユダヤ教徒の利益のために、彼らが権威ある学問的世界から受け入れられ尊敬されるように提案されているところにある。その世界ではダーウィニズムと有神論が癒着しているのである。残念なことに、評判を考えたこの虫のよい提案は、しばしば残酷な扱いを受ける。P. Z. MyersやJerry Coyneのような有力なダーウィニストたちは、こういったBioLogos財団の考え方――「科学と信仰を両立させるための愛嬌たっぷりの敬虔なイタチ」の考え――を馬鹿にし軽蔑しているのである。

もちろんこれは、コリンズ博士や彼の協力者Karl Gibersonに対してフェアではない。私は彼の『神の言葉』を面 白く読み、The Weekly Standardに好意的な書評を書いた。ただコリンズ博士はインテリジェント・デザイン理論を軽蔑しているが、彼はこの問題についての最新の議論や著作を読んでいないことは明白だと書いた。彼の議論は浅はかというよりほかないものである。

例えばコリンズは、いわゆる「ジャンクDNA」の存在がダーウィン進化論の証拠になるとしきりに強調するが、この考え方を粉砕する私の同僚Richard SternbergによるEvolution News & Viewsの議論を読んでみるがよい。

基本的に、ダーウィン進化論が問題になるとき、対立は宗教信仰と科学の対立ではない。それは信仰と根拠のない科学の対立である。劣悪な科学と言ってもよい。ユダヤ教やキリスト教が、いかに世界が存在するようになり、いかに動いているかの問題について、科学らしい匂いのする理論となら、何でもかまわず和解できるなどと誰が考えるだろうか? 

私とコリンズの考え方を分けているものが何であるか、何故なのかを詳しく述べる代わりに、一世紀前に偉大な心理学者・哲学者であったウィリアム・ジェームズが言っていることを紹介しよう。

『宗教的経験の諸相』のあとがきでジェームズは、「超自然主義」つまり自然的・物的な世界を超えた現実を認める開かれた態度一般 には、二種類あると言っている。それに対するのは自然主義で、眼に見えない、見ることのできない領域の存在を否定する態度である。ジェームズは「超自然主義」は、超自然的なものには物的現実を導く力もなければその意図もないと考える“洗練された”あるいは“普遍主義的な”超自然主義と、見えない世界と見える世界が交差する接点があると考える“粗野な(crass)”超自然主義の、二つに分けられると考えている。

ジェームズ自身は自分を“粗野な”超自然主義者だと言っている。宗教的ではあったがクリスチャンではなかった彼は、“洗練された”超自然主義は「あまりにも容易く自然主義に屈する」ものと考えた。この考え方からすればBioLogosは、普遍主義的超自然主義の洗練と威信の誘惑に屈しているのである。

ジェームズはこう書いている――「観念世界をこのように普遍主義的に解釈するならば、実践的宗教の本質は蒸発してしまうように思える。本能的にも論理的理由からも、自然と超自然を事実的に区別 しない原理が存在しうるとは思えない。」洗練された超自然主義のもとでは、「宇宙は単純で純粋なグノーシス的(注、霊的直観によるだけの)宇宙になってしまう。」

私が特に気に入っているのは、あまりにも容易く自然主義に「屈する」という部分である。まさにこれがBioLogosが「有神論的進化論」の名によって陥っているところのものである。それによって実践的宗教は「蒸発」の危険にさらされるのだ。

ジェームズはさらに、なぜ洗練された超自然主義がこれほど多くの、本来なら忠実な信仰者を虜にするのかについて洞察を示している。それは、この超自然主義の方が、洗練され、高度に知的で、現実的であるように見えるからであり、これに対して粗野な超自然主義は粗野に見えるからである。後者は「観念世界の力を、現実世界の細部を因果 的に決定する諸力の中に取り込むことによって、観念世界と現実世界を融合させることに、何ら知的な困難を見出さない。」 何と知能遅れ、時代遅れであることよ! これではまるでインテリジェント・デザインそっくりではないか! それは表向きでないところでは決してなくならない議論だ。

ウィリアム・ジェームズとともに、私は粗野であることを選ぶ。そちらに与する方が幸せだからだ。

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