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「医者をしてる息子が言うにはね」−テキサス公聴会所感

By: David Klinghoffer
March 31, 2009

先週のテキサス州教育委員会公聴会のやりとりを聞いていて、二人の委員の発言が私の注意を引いた。委員会は理科教育基準についての議論が詰めに入ろうとしていたが、そのときリベラルな共和党員のパット・ハーディが「専門家」に敬意を払えと発言した。

彼女が言うには、病気になってその方面 の専門の医学的知識が必要になれば、誰だってその専門家に相談するものだ、ということであった。彼女は進化の「専門家」の意見を聞くように他の委員たちを説得していたのだが、それは進化について高校の学生と共有するに値する異論などないという「専門家」の意見を受け入れて投票せよ、という意味であった。

同じ日、多数派の「専門家」見解には与しない側の委員ドン・マックレロイが、これに異論を唱えた。単なる歯医者である私に、専門家の言うことを疑う何の権利がありましょうか、と彼は皮肉たっぷりに言った。ですが、「歯医者にすぎない」私にも、一人の市民として、選ばれた学校の立法委員として、自分で考える権利はあると考えています。むしろ私にはその責任があります。それはたとえ、勉強し考えたあげくに、多くの専門家の意見を拒否することになったとしても変わりません。

それに、ダーウィンを疑う側の、立派な資格のある専門家を見つけるのに苦労するわけでなく、この委員会で証言したそういう人はたくさんいます。しかし進化を疑う人が学会では少数派であるのは間違いないことです。

ところでニュースで周知のように、テキサス教育委員会では、多数派の「専門家」を抑えて、最終的にはマックレロイ側を選んだ。これによって、ダーウィン理論を問題にすること――委員会の用いた文言では「分析し価値を定める」こと――を緊急の課題とすべき条項を取り入れた理科基準が採用されることになった。

何も考えず専門家に従うことは、大多数の人々にとって単に威信のための道である。このような従順さはまた、分別 あるはずの人々が、ダーウィン進化論について考え直してみることに抵抗することが多いことを説明するものでもある。

専門家の意見に従おうとする傾向は、単に怠惰が理由である場合もある。多くの政治的に保守派のジャーナリストや他の知識人について、確かにそういうことが言えるだろう。こういう人たちは、科学は退屈であるか難しくてわからず、しかも他の政治的・文化的な彼らの関心事へのダーウィニズムのかかわりが、もう一つわかっていないのである。したがって専門家の意見が、少なくともこの問題に関しては、面 倒なことを考えなくて済む、ありがたい口実になるのである。

これ以外の共同社会においても、専門的資格、肩書き、名声、地位 といったものに過剰に影響される傾向がある。これを「医者をしてる息子」症候群と呼んでもいいだろう。ご婦人方がコーヒーを飲みながらやっている、お決まりのあの光景である――「医者をしてる息子が言うにはね」と誰かが言い出すと、馬鹿ばかしくもあたりはシンと静まり、一座の者はみなうやうやしく耳を傾けるのである。

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