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「ダーウィン? それは党の路線だよ」
―多くの科学者は科学が唯一の宗教だとは思っていない

By: Bob Allen
Associated Baptist Press
October 21, 2008

『ハムレット』3幕で王妃ガートルードが、劇中劇の女王が「愛の誓いのしすぎ」だといって白ける場面 はよく知られている。もちろんガートルードの言いたいのは、劇の女王の夫への愛の過剰な表出が、これをかえって疑わしいものにするということである。

多くの一級の科学者や彼らに同調する評論家たちが、我々の宇宙の創造や地上での動植物の創造の背後に神などいないという彼らの主張を受け入れない人々を、誰であれ激しく叩こうとするやり方を見ていると、私はこのガートルードのせりふを思い出す。

例えば『神は妄想である』を書いたリチャード・ドーキンズは、進化論を信じない人々を「無知か愚鈍か頭がおかしいのだ」と言い、もう一人の熱烈な無神論者Peter Atkinsオックスフォード大教授は、最近、神学や詩や哲学をこきおろし、「科学者こそ知識の最高峰にいて、合理性の導き手であり、知的に正直なのだ」と結論した。遺伝学者のEmile Zuckerkandlも、生物学的事実が知的デザイナーを示唆するか否かを論じながら、インテリジェント・デザインという考えを「知的ウィルス」と呼び、これを唱える者たちを「いやらしい虫の小集団で…蛭のように不合理な信仰に食らいついている」と評した。

こういった地位ある人々が、たとえば、人体の「還元不能の複雑性」を証明する、革命的な『ダーウィンのブラックボックス』の著者マイケル・ビーヒーをつけ狙って、このような類いの言辞を弄するということは、彼らが果 して自分の主張に自信をもっているのかどうかを疑わせるものである。

そして今、もう一冊のすぐれた本、David Berlinskiの『悪魔の惑わし――無神論とその科学の僭称』(The Devil's Delusion: Atheism and Its Scientific Pretension)が出た。これは225ページの小著ながら、ダーウィン理論や神のいない宇宙論がますますそうであることがわかってきた合意された虚構に、痛打を加えるものである。

私はこの本のことをWilliam BuckleyのNational Review上の書評で知った。彼はこの本を「望ましいすべての要件をそなえている――口語的で深遠で、才気溢れて議論好きであり、面 白くて博学だ」と評している。そしてディスカヴァリー研究所の設立者の一人George Gilderがこの本を「この千年紀の決定的な書」と言っているのを見て、私はこれを読む気になった。たしかにこれは火付け役的な刺激的な本である。

ベーコンのような警句と不思議な威厳をもって、ベアリンスキー(プリンストンでPh.D取得、アメリカやフランスの大学で数学や哲学を教えてきた)は、知識人たちの最近の無神論的科学主義信仰を、浅薄で排他的だとしてさらし者にしている。彼は言う、「戦闘的な宗教がすべてそうであるように、この宗教も自分だけに忠誠を求める。汝ら我のほかにいかなる神をも拝すべからず。」

科学の世界で大いに尊敬される立場にありながら、にもかかわらず、ベアリンスキーは、科学が理性をもつ人間の信ずべきただ一つの信仰体系だという思い上がりに、風穴をあけにかかる。それどころか、科学は、宗教的信仰を「浅はかな軽蔑」をもってみる「偏狭で抑圧的な権威主義思想」であることを示す。

「こういうことを言う者の素性はわかっている」といった反応を封ずるために、ベアリンスキーは最初のページで、自分が宗教教育の根付かなかった世俗的なユダヤ人であるという「不都合な真実」を明らかにしている。しかし付け加えて彼は、この本が「その類いの本がこれまでなかったために書いた」宗教的思考と感情を弁護する本であると言っている。この人がフェアプレイを重んずる人であることは明らかである。

もちろん当然ながら、『アルゴリズムの到来』『微積分の旅』『ニュートンの贈り物』などベストセラーの著者であるベアリンスキーは、「孤立した奇跡、連山の巨峰」と彼が呼ぶ、科学上の途方もない進歩を認めるのにやぶさかではない。しかし繰り返し彼は、これらの科学の天才がそれぞれの分野で提唱した深い理論は、世界と宇宙の謎を解いたというより、もっとこれを深くしたと言う。

この過程において、現在の科学の先端を行く人たちは、事実上何でも喜んで信ずるという傾向が強くなったと彼は言う。すなわち、我々の宇宙は、我々が知っているような時空の存在しない、より空虚な、4次元のミニ宇宙から進化してきたとか、我々の前の宇宙が「トンネル効果 によって」この宇宙になったとか、この世界の究極の知識に到達するには、発見しうる最も小さな部分に素粒子を分割するのが最上の方法だとか、生命は「結晶の背中に乗って」出現したとか、地上の生物は、他の惑星からきたエイリアンによって「植えつけられた」かもしれないといった説である。

要するに「物理学者が静かな誇りをもって、それを無から、とりわけ神には決して似ていない無から取り出したのだと言えるような」あらゆる説である。

なぜ実験室着を着たエリートたちは、これほど彼らの新しい無神論に熱心なのだろうか? なぜ、公認のドグマから逸脱しようとする者たちに対して、これほど不寛容なのだろうか? 科学的探究とは、永遠に疑問を発し、調べてみることに対して開かれているのではなかったのか? これらの疑問に答えるには、人間性のよからぬ 側面、卑小さ、独断主義、傲慢、悪意といったものに目を向けなければならない。

この心の狭さの悲しい結果は、公認の科学的真理に疑いを抱くほとんどの科学者が、天動説を疑った中世の学者と同じように、考えを公にすることを怖れていることである。

一例として、列を乱すことによって反撃を食らうのを避けるために、ある生物学者(アイビーリーグの教授と噂されている)は、著書にMike Geneという偽名を用いることにした。この本The Design Matrix: A Consilience of Cluesは、進化や共通祖先を否定するのでもなく、インテリジェント・デザインの証拠を提供するというのでもないにもかかわらず、である。彼は単に、ピアレビューを通 った研究論文を引用しながら、創造のすべてについて完全なランダムで説明するのは、どうみても説得力がないと論ずる多くの科学者の一人にすぎない。

これに対してベアリンスキーは、皇帝が裸であることを大胆にも宣言する老廷臣のように、科学的無神論は「レパートリーにたった一つの決まり文句しかなく、それは『苦しいときの神頼み』(God of the Gaps)というものだ。あらゆるものを支配して不愉快にさせた昔の神とは違って、このGod of the Gapsは論証や証拠の穴を支配する」と言う。

この本の最大の原子爆弾は、古典的ダーウィニズムを支持する「論証や証拠」がいかに乏しいかを論ずるところにある。

「ダーウィン理論についての疑いは二つの理由から生ずる」と彼は言う。「一つは、理論がほとんど意味をなさないということ。もう一つは、それを支持する証拠がほとんどないということ。・・・我々がもっている理論というものは、それが行けるところまで行き、そのあと行き詰る。それが行き詰るのは細部が整わないからでなく、それ以上先へ行けないからである。理論的難点は、奇術師の使い古した注意をそらすわざによって、うまく収められる。」

ベアリンスキーは、ダーウィン進化論のコンピューター・シミュレーションはそれが正直なときは失敗し、正直でないときに成功するのであって、この問題についての文献の説得力のなさはよく知られているのだと言っている。あるノーベル賞受賞者が、かつて大学の休憩室で彼にこう言ったという――「ダーウィン? それは党の路線だよ。」

ダーウィニストとダーウィニズムを解剖しながら、ベアリンスキーはこう言っている。「もし生物学者がダーウィンについて間違って考えているなら、彼らは人生について間違った考えをしている。もし彼らが人生について間違っているなら、彼らはすべてについて間違っているのだ。」

だとすると、彼らのこれだけ多くの者たちが、これだけ過剰に抗議するのもうなずけるわけである。

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