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進化論批判の自由を認めたルイジアナ新法
―反対派はよく考えて行動せよ―

By: Jason Streitfeld
American Chronicle
June 24, 2008

数日前、ルイジアナ州議会は、公立学校における進化論教育に関する新しい法案を(36対0で)可決した。この動きは、無神論者と進化論擁護派によるひどい批判の対象になっている。

ニューヨークタイムズの社説は、この立法を「ダーウィンに対する攻撃」と呼び、「ルイジアナ科学連盟」に同調して、この法案を却下するようBobby Jindal知事に呼びかけている。こうした働きかけは、無神論者・ダーウィニストの人気のある拠点としてのリチャード・ドーキンズのウエブサイトなどに反映している。

ただ私は、無神論者であるにもかかわらず、この法案に賛成である。大いに賛成である。

アメリカの公立学校における科学の教え方は、まったく教育になっていない。生徒は科学的発見というものが、いかに人を興奮させダイナミックなものであるかを学ばない。彼らは単に、無味乾燥な事実や法則を暗記する(あるいは少なくとも暗記しようとする)だけである。科学というものを文明の有機的一部たらしめる批判的思考や比較的分析に、彼らが参加することはめったにない。

この新しい法案は、創造論やインテリジェント・デザインを公立学校で教えることができるようにしようとする人々に、支持されるかもしれない。しかし、この法案が支持しているのは、まさにアメリカの学生が必要としていること、すなわち論争の争点となっている問題についての批判的思考を奨励することである。

この法案は「進化や生命起源、地球温暖化、人間クローンのような(しかしそれに限定されない)問題のもろもろの学説を、批判的に考え、論理的に分析し、とらわれない客観的立場で議論することができるような環境を、公立の中学校や高校の内部で醸成すること」を目指すものである。

ニューヨークタイムズの社説記者は、この法案が進化論に対抗する人類についての合理的な説明があるかのように言っている、と言って批難している。例えば熱力学の第二法則には、おそらく批判的な考え方はありえないのだから、進化論にオプションがあるのはなぜかと学生に思わせることになる、と言う。

私はそういう批判に与することはできない。なぜなら正直なところ、すでに多くの学生が進化論はオプショナルだと考えているからである。公立学校でこの問題を批判的に議論するのを禁止しても、事態を理解しようとする学生を混乱させるだけである。それはおそらく逆効果 をもたらすだろう。

更に言えば、通念となっている考えを批判しなかったおかげで科学が進歩した、などという話を私は聞いたことがない。

この法案は注意書きに、これは学校で宗教思想を教えることを勧めるものではないと断っているが、そのことをあげつらう一部の無神論者や科学者がいる。理由は、こんな注意書きは必要のないもので、それを書くのは、立法者たちが隠れた動機をもっている証拠だというものである。

この人たちの動機はどうでもよい。私は法案の中身に興味があるだけである。この法案はよいものだ。それは正しい。それは世界中の無神論者や科学者に賛同されてしかるべきものだ。

この法案の反対者たちは、これを「くさび」戦略の一つと見ている。くさび戦略とは、公教育のドアの隙間に、宗教的創造論のための足場を作るためのくさびを打ち込むという意味である。批判的思考を促すためにそのような足場が必要なら、そうすればよいだろう。だが私はそんな目的ではないと考える。

州法は学校での宗教教育を禁じている。そしてこの新しい法案は、この法によって命ぜられている限度を確認している。

私の気持ちを言えば、公立学校で学生たちが堂々と宗教を議論するのを見たいものである。ただ、そこで使われる教科書が、宗教を疑問の余地のない事実として受け入れるものでなく、批判的科学的な観点から教えるものでなければ、これを容認することはできない。

よりよい教育制度のもとでは、学生は宗教と科学の違いを議論し、その過程においてその両方の理解を深めていくだろう。この法案は、正しい方向への第一歩を示すものと私には思える。

結局は、この法案に対して否定的な反応をすることによって、無神論者やダーウィン進化論者は、敵側が正しいことを証明していることになる。彼らは道理のある振舞いをしているようで、現実は彼らの側にはつかない。それは彼らの主義主張を著しく損なうことになるだろう。

要は、学生たちに問題のあらゆる側面 を教え、教室で議論させることである。その結果がどうなろうと、現在より悪くなるということはありえない。

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