Discovery Institute News

生物授業に宗教利用キャンペーンを始めた進化論者!

By: John West
Discovery Institute
Feb. 12, 2008

きょうこの日、学校や研究所が199回目のダーウィン誕生日を祝っている一方で、この国の公立学校の理科授業に宗教を利用しようする新しい動きが始まっている。

しかしこれは、あなたが考えるような側で起こっているのではない。

宗教をこっそりと生物の授業に持ち込もうとしていると言って、多年にわたってダーウィン批判者を批難してきた進化論者たちが、今、進化論教育に公然と宗教を取り入れる運動を始めている。

進化論擁護の立場を取るNCSE(全米科学教育センター)の所長ユージェニー・スコットは、生物を学ぶ学生たちに、進化論を正しいとする宗教家の声明を読ませよと主張している。彼女はさらに、進化についての彼らの見解を聞くために、学生に牧師たちを訪問させる課外授業を提案している――ただし、その地区が「保守的キリスト教」の地盤でない場合に限ると言う。なぜなら、もしそうだと「進化論はOK」だという授業の意図が覆されるからである。

進化論生物学者ケネス・ミラーによると、全米の理科教師たちはすでに彼の著書『ダーウィンの神を見出す――神と進化に共通 の立場を求める一科学者の探究』(Kenneth Miller, Finding Darwin's God: A Scientist's Search for Common Ground Between God and Evolution)を用いて、進化と宗教的信仰は両立することを学生に納得させようとしていると言う。

皮肉なことにミラーは、ペンシルヴェニア州、ドーヴァーのID裁判に専門学者証人として出廷し、IDは偽装をした宗教だから学校から追放されるべきだと考える人々の側に立って、証言をした人である。しかしミラーは、進化論にてこ入れするためなら、公然と教室で宗教を利用しても問題はないと考えているようだ。

一方、「進化論の理解」(Understanding Evolution)という教育ウェブサイトでは、進化論は宗教と両立しないという学生の「誤った考え」を突き崩すように、教師に奨励している。米国科学財団からの50万ドル以上の税金による資金によって、このサイトはさまざまの宗教団体からの、何十という進化論を是とする声明文を利用するように、教師たちに勧めている。そこにはこんな宣言も含まれている――「現代進化論は、創造主なる神と、その神のイエス・キリスト及び聖霊における顕現と存在に対する、我々の信仰と決して矛盾するものではない。」

進化の科学を学生に教える正当な世俗的な理由は存在するが、納税者たちは、どうして政府が自分たちの子弟に、進化が「イエス・キリスト及び聖霊における神の顕現と存在」とつながっていることを納得させる必要があるのか、と思うであろう。

学校での進化論教育を推進するために宗教を利用するというこの新しい試みは、合衆国憲法の宗教教育禁止条項に関する最高裁判例から大きく逸脱するものである。もしかりに、ダーウィン批判者たちが生物授業で進化論を糾弾するために、宗教を利用しようとしたなら、どれだけの弾劾罵声が飛び交うか想像してみればよい。ACLU(米国自由民権連合)があっという間に飛んでくるであろう。

にもかかわらず、学校での進化論教育のための宗教利用を支持する声は、広がっているようである。

昨秋、IDを攻撃する鳴り物入りのドキュメンタリー・ドラマに関連して、PBS放送は全国の教育者に、ユダヤ教やキリスト教グループによる進化論是認の声明文を含む説明書類を配布した。

1月には、米国科学アカデミーが教師、教育委員会メンバーなどに、よい宗教は進化論を支持していると読者に信じさせようとする、同じような内容の数ページを含む報告書を発行した。

公立学校では確かに、関連科目において、競合する宗教的説明を客観的に討議することは許されている。しかし進化論推進者の主張しているのはそれではない。彼らは明らかに学生の精神的信念を変えようとする目的で、一方的な宗教プロパガンダを行っているのである。

注目すべきことに、政教分離を強力に主張するACLUのようなグループは、問題が進化論者による教室での宗教奨励ということであれば、我関せずの態度を取っている。明らかに、理科の授業での宗教的洗脳は、宗教がダーウィン理論にてこ入れするために利用される限りOKなのである。

このやり方の偽善性は火を見るより明らかである。しかし同時に明らかなのは、そのひねくれた姑息な手段である。

教室で進化論を推進するために宗教を利用しようとする者の多くは、無神論者か不可知論者であるとわかる。例えばユージェニー・スコットは「ヒューマニスト・マニフェスト3」と呼ばれているものの署名者であり、これは人間は「死ねば終り」で「超自然主義なしの進歩的人生哲学」を標榜する宣言文である。「米国科学アカデミー」に所属する生物学者たちも同じような見解の持ち主で、1998年の調査によれば、彼らの95%が無神論者あるいは不可知論者を自認している。

進化論主張者の中の有神論者でさえ、人が考える以上に、伝統的な宗教に好意を持たぬ 傾向がある。ケネス・ミラーはメディアなどでは伝統的なローマ・カトリックと紹介されることが多いが、彼は、進化は「導き手のない」過程であり、人類の発展は「あとで考えた結果 」にすぎず、人類など生じなかったかもしれない歴史の、取るに足らない偶発事だと言っている。

進化についてのどの宗教の見解が正しいかに関わらず、問題は、そもそもなぜ理科の授業でこうした問題を扱わなければならないかである。我々は本当に、公立学校の理科の授業を日曜学校のダーウィン教授業に変えようと思うだろうか? 

進化論擁護者はしばしば、ダーウィン理論が宗教的信仰をもつ人々から攻撃されると言って嘆くが、きっと彼らは宗教指導こそその脅威をかわす方法だと思っているのだろう。だとすれば、彼らはこの問題の音痴である。

もし彼らが、宗教的な人々の一部が現在、進化論に反対しているだけだと考えるのなら、多くの教師たちが授業をしながら、ダーウィン教に次々と改宗していくのを待つがよい。

我々が宗教的自由をもつのは理由があってのことである。進化論唱道者たちが公立学校にまたしても要らざる対立を持ち込む前に、この事実をよく認識してほしいものである。

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