Discovery Institute News

保守主義の未来:ダーウィンかデザインか

Casey Luskin
Human Events
December 12, 2005

時として、一つの社会問題があまりにも広く知れ渡り、ほとんどあらゆる人――善意なのだが知識をもたない先生方までが――それについて発言したがることがある。例えばCharles Krauthammerは、宗教的保守派はあまりにも宗教的になりすぎることをやめて、彼の「白く塗られた」宗教にやさしいダーウィニズムを採用するがよかろうと忠告している(注1)。George Willは、ダーウィンをめぐる不協和は保守主義の未来を害することにもなりかねないと予言している(注2)。両人とも、インテリジェント・デザインは科学ではないという点で一致している。

こういった批評家たちが、彼らの非難するデザイン理論家の書いたものをよく読んでいるかどうかは疑わしい。彼らのIDについての知識の元になっているのは、他のID批判者――この理論の主要な論点を歪めるだけでなく、時にはデザイン理論家の学問の自由をも否定しようとする人々――の所説であるようだ。

2001年、アイオワ州立大学の天文学者Guillermo Gonzalezの、銀河系の居住可能帯に関する研究が『サイエンティフィック・アメリカン』の表紙を飾った。ゴンザレス博士の研究は、我々の宇宙や銀河系や太陽系は、高等生物のために知的にデザインされたものだということを証明するものである。ゴンザレスは、授業ではIDを教えてはいないが、「IDの方法は科学的で、宗教的な前提から出発するものではない」と考えている。ところが、学内無神論者クラブの学部アドバイザーは、ゴンザレスの科学的見解を単なる「宗教的信仰」だと非難する申立書を配布したのである。この種の攻撃は、多くの大学キャンパスで、保守少数派にとってはよくあることであろう。しかしながら、IDに対する反応は、このところ単なる個人的不寛容から公的な魔女狩りへと変わっていった。ゴンザレスは来年が在職権取得の時期に当たるから、確実に科学的見解のゆえに問題にされるであろう。

アイダホ州モスコウのアイダホ大学は、穏やかな口調の微生物学者スコット・ミニッチの在職校であるが、彼は、彼や他の科学者たちが知的にデザインされたと信ずる微細なロータリー・エンジンであるバクテリアの鞭毛を研究する研究室をもっている。今年はじめ、ミニッチ博士はID教育をめぐる「キッツミラー対ドーヴァー裁判」で、IDに有利な証言をした。明らかにミニッチ博士の見解に脅威を感じた大学総長のTim Whiteは、「進化論と異なる見解を教えることは、本学の生命・地球・物理の科学コースやカリキュラムにおいて不適切である」と宣言する告知を出した。ゴンザガ大学の法学教授David DeWolfが、ある社説で言ったように、「いったい、これはどこのモスコウの話か?」と尋ねたくなる。それは、ミニッチの昇進が彼の科学的見解のゆえに危機にさらされている、ここのモスコウの話である。

ゴンザレスやミニッチのような科学者は、理解されるべきであるだけでなく、その主張は擁護されるに値する。知的自由を弁護する保守派の人々は、IDを研究したり客観的に教えたりする学問の自由を制限しようとする大学人の魔女狩りに、背筋の寒くなる思いをすべきである。クラウトハンマーやウイルの攻撃は火に油を注ぐものである。

進化論を「すばらしい」「気品ある」「神のような」などと呼ぶことによって、クラウトハンマーのダーウィン弁護は、感情的議論に根ざしており、西洋の有神論に対して完全にやさしいネオ・ダーウィニズムという幻影に基づいているのである。神とダーウィニズムを同時に信ずることが不可能とは言えないにしても、代表的ダーウィニストの示す進化論の説明は、クラウトハンマーの衛生無害の解釈とはだいぶ違っている。例えば、オックスフォードの動物学者Richard Dawkinsは「ダーウィンのおかげで知的に充実した無神論者になることが可能になった」と説明している。のみならず、クラウトハンマーの理解は、生物学の教科書にある進化の説明と真っ向から対立する。Douglas Futuymaは、有名な教科書『進化論生物学』でこう言っている――

方向をもたぬ無目的の変化を、自然選択という盲目的で無頓着な過程と結びつけることによって、ダーウィンは生命過程の神学的・霊的説明を不必要なものにした(注3)。

だからクラウトハンマーが、カンザス州教育委員会がネオ・ダーウィン進化論を「方向をもたぬ 」と評したと言って叩いたとき、きちんと教科書を読んでいたのはカンザス州の人たちであって、クラウトハンマーではなかったようである。

そればかりでなく、ダーウィニズムを説教することによって、クラウトハンマーは彼自身の保守的大義のいくつかの、歴史的因縁のある敵に求愛しているのである。彼はかつて、人間はその持って生まれた尊厳のために、医学的実験に供されてはならないと説いた――「文明はひとえに、人間は目的として扱われるべきであって手段として扱われてはならない、というカントの原則に拠りかかっている」(注4)。クラウトハンマーがこれを書いた時から十年ほど前に、「アメリカ優生学会」はもっと耳当たりのよい「社会生物学研究学会」へと名を変えた。この「新しい」分野の社会生物学は、著名なハーヴァードの社会生物学者E. O. Wilsonの下に強く推進されてきたものである。「チャールズ・ダーウィンの“一つの長い議論”の諸結果 」と題する『ハーヴァード・マガジン』最新号の記事に、ウィルソンはこう書いている――

純粋なダーウィニズムの世界の進化は、行く先も目的も持たない。進化のただ一つの推進力は、世代から世代へと自然選択によってより分けられたランダムな変異だけである。…いかに他の生物に力においてすぐれていようと、いかに高い自己評価をしようと、我々はこれらの生物を創ったのと同じ盲目的な力によって、動物からの子孫として下ってきたものである(注5)。

この「科学的ヒューマニズム」の見方は、方向性を持たないとされる我々の進化の起源が、我々を基本的に動物と違いのないものにするという含みをもっている。だからウィルソンは別 のところで、ネオ・ダーウィニズムのもとでは「道徳、もっと厳密にいえば我々の道徳信仰は、我々の繁殖の目的に資するために所を得た一つの適応にすぎない。…我々の理解している倫理とは、我々が協力するように、我々の遺伝子によって我々に押し付けられた幻覚である」と言っている(注6)。

ダーウィニストがきわめて道徳的な人間でありうるのは間違いのないことである。しかしE・O・ウィルソンのすばらしき新世界は、クラウトハンマーの頭の中で踊っている、宗教や道徳にやさしいダーウィニズムの砂糖漬け像とはかなり違うようだ。

信じられないことだが、クラウトハンマーはまた、インテリジェント・デザインについて教えることは「宗教に対する愚弄」を積み重ねることだと言っている。現実がどうであるかを確かめてみるべきであろう。あらゆる主要な西洋の宗教は、生命は知性によってデザインされたと考えている。最近ダライ・ラマは、デザインは仏教における哲学的真理であると明言した。デザインが科学的に正確であると言うことが、いったいどうして宗教を侮辱することになるのだろう? 

少なくともジョージ・ウィルは、もう少し現実的な批判をしている。ウィルの恐れることの第一は、ダーウィンについての論争で、社会的保守と財政的保守の間に亀裂が入りはしないかということである。ウィルの二分法は間違っていて、これを受け入れる必要はない。財政的保守も社会的保守も互いに相手の支えを必要としている。しかしこのどちらの批判の場合も、焦点は人間の自由という西洋文明の共通 の遺産であるべきである。これがE・O・ウィルソンの科学的ヒューマニズムでは意味をなさなくなるのだ。

生物学的起源についての論争が保守派の団結を脅かすとすれば、それはウィルやクラウトハンマーのような批評家がことさら分裂を持ち込むときだけである。しかしそういうことをすれば、彼らは保守派と一般 大衆の間の結合を弱めることになるだろう。

世論調査のデータは、ネオ・ダーウィニズムに有利・不利の両方の証拠を含めて、科学的証拠の全体を教えることが、圧倒的に一般 的な政治的立場であることを示している。2001年のゾグビー世論調査によれば、米国人成人の70%以上が、ダーウィニズムについての科学的論争を教えることを支持している(注7)。これは、生命が純粋に「方向をもたない」進化の過程によって生じたものと信ずるアメリカ人が、全体の10%ほどしかいないという別 の調査の結果とも符合する(注8)。

しかし究極的には、世論調査のデータの問題でなく、科学的データの問題である。クラウトハンマーのような批評家たちがこの問題について知識があるか否かに関係なく、またウィルのような批評家たちがいかに大声で「進化は事実である」と言いふらそうと、我々の細胞の中にはディジタル・コードがあり、ミクロレベルの還元不能の複雑なロータリー・エンジンがあるという事実は変わらない。

すべてが過ぎ去ったあと、それでも地球は回るのであり、細胞はデザインの証拠を示すのである。

1) See Charles Krauthammer, "Phony Theory, False Conflict," Washington Post, Friday, November 18, 2005, pg. A23.
2) See George Will, "Grand Old Spenders," Washington Post, Thursday, November 17, 2005, pg. A31.
3) Douglas Futuyma, Evolutionary Biology (1998, 3rd Ed., Sinauer Associates), pg. 5.
4) Quoted in Pmmela Winnick, "A Jealous God," pg. 74; Charles Krauthammer "The Using of Baby Fae," Time, Dec 3, 1984.
5) Edward O. Wilson, "Intelligent Evolution: The Consequences of Charles Darwin's 'one long argument'" Harvard Magazine, Nov-December, 2005.
6) Michael Ruse and E. O. Wilson, "The Evolution of Ethics" in Religion and the Natural Sciences, the Range of Engagement (Harcourt Brace, 1993).
7) See http:www.discovery.org/articleFiles/PDFs/ZogbyFinalReport.pdf
8) See Table 2.2 from Karl W. Giberson & Donald A. Yerxa, Species of Origins America's Search for a Creation Story (Rowman & Littlefield, 2002) at page 54.

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