ダーウィンを肥やす人々

George Neumayr American Thinker  August 4, 2005

 「“インテリジェント・デザイン”理論へのブッシュ発言、物議をかもす」と、水曜日のワシントン・ポストは、一面の見出しをこう書いている。ブッシュ大統領の至って平凡なコメント――「諸君の質問は、人々が(ダーウィン進化論とは)異なった考え方を教えられるべきか否かということだね。答えはイエスだよ」――がポスト紙によって特異な事件、一面で追及するに値する異様な傍白として扱われ、彼の単純なキリスト教的見解が批判に値するかのようである。

 ワシントン・ポストは物語の中で、名前を伏せたある科学者にインテリジェント・デザインのことを「安物のタキシードを着たクリエーショニズム」と呼ばせ、宗教・教育分離論者のバリー・リンに、ブッシュの科学的知識の程度についてお伺いを立てている。リンによれば、ブッシュは「無責任」であり、「科学についての理解は低レベルで、IDが宗教的観点であり進化は科学的観点であることを理解していない」のだそうだ。
 車をぶっつけておいて、その事故現場に無関係の傍観者を装って歩み寄る人間のように、ポスト紙はこの問題を、あたかも自分は意見を持たず、焚きつけもしなかった論争のように報告している。この物語に正直な見出しをつけるとしたら、「新聞がIDについてブッシュを釣り出し、その応答をめぐって物議をかもし出す」とすべきである。

 この物語は滑稽な偏見に満ちてはいるが、希望の光が見えないでもない。それは、文化に対するダーウィンの支配力が緩みつつあることへの、知的支配層の恐怖を物語るからである。縮小していく自分たちの科学的領土を守るために、支配層は必死になって、「科学者間の合意」というありもしないものを主張しなければならない。これはワシントン・ポストがこの夏、スミソニアン博物館でIDのドキュメンタリー映画が公表されたことに反対する、社説の中で使った言葉である。彼らは、この虚構の合意に少しでも違反することを、変わり者の証拠にしなければならない。この保守的な違反に対する、政治的に正当な取り締まりが次第に攻撃的になってきたのは、その「違反」が急速に広がりつつあり、支配層が飼い慣らしたと思っていた領域にまで及んでいるからである。

 そういうわけで、カトリック教会の著名な枢機卿であるウィーンのクリストフ・シェーンボルンが最近、進化論のことを、最も基本的な科学的事実の否定の上に築かれた「イデオロギー」だと言い、自然には明らかにデザインがあると主張したときも、支配層は、それは門外漢の神学者の見解であって、そういう者は口を出すべきでなく、「科学者」に発言を譲るがよいという意味のことを言った。しかしシェーンボルンは単に、教会の昔からの哲学である不動の動者がすべての創造の必要な根拠であり、結果は原因より大きいということはありえないという、信仰ではなく、理性の結論を繰り返していたにすぎない。

 偶然が自然界の複雑さの十分な原因だとするいかなる理論もありえない、とするシェーンボルンの言明は、知的支配層にとって恐怖である。なぜなら彼らは、カトリック教会が、啓蒙主義以降の神抜きの、純粋に唯物論的な、宇宙機能の説明に対する最も大きな脅威であることを知っているからである。(進化論者がいかに日和見的に無神論を否定しても、ランダムな変異と自然選択という組み合わせは、結局、無神論になる)
 教会内部の異説信奉者や外部の日和見主義者たちは、教会を中立化して進化という基本問題について歩み寄ろうとしてきた。しかし彼らはそのまま逃げることはできない。シェーンボルンの言明は、「改革」の名においてカトリック教会に持ち込まれてきた啓蒙主義のリベラリズムに対する、強力な反発の始まりを画するからである。

 あたかも彼らのリベラルな読者を危機に対して警戒させるように、ポスト紙の物語はブッシュのコメントをシェーンボルン発言のコンテクストの中に置いている:

 大統領の最近の発言は、ウィーンの大司教であり、影響力をもつローマカトリック神学者であるシェ−ンボルン枢機卿の、「ランダムな変化と自然選択という方向も計画も持たぬ過程」としての進化は真理ではないという発言から、二ヶ月もたたないうちになされたものだ。

 例によって、自分たちの主張を通すのに専門家の権威を利用しながら、ポスト紙はこう宣言している:

 科学界の大勢の見方では、インテリジェント・デザインは検証された科学理論でなく、宗教、特にキリスト教的思考を学生に押し付けるための、巧妙に売り出された理論の試みである。反対者たちは、教会グループや他の利害グループが、まず伝統的科学の検閲によって支持を得ないままに、政治的な宣伝手段を追い求めているのだと言っている。

 言い換えれば、IDの科学者たちはダーウィニズム科学者たちのお墨付きを得ていないではないか、ということである。IDが新奇な、本質的にキリスト教的理論だというこの考えは、アリストテレスを仰天させるであろう。『自然学』の中で彼は、エンペドクレスを通じてやってきたダーウィニズムの初期の形を批評して、これを不合理な自然解釈だとして退けている。… 進化をめぐる論争はブッシュやシェーンボルンやID派に始まったわけではない。この論争は古代ギリシャ人の時代にまで遡る。しかし知的支配層は、作り物の「科学者間の合意」を維持するために、新聞を通じて、学生がそんな話を聞くことがないように必死になって働いているのである。
(ジョージ・ノイマイヤーはThe American Spectatorの主筆編集者)

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