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生命、目的、精神:機械的比喩の問題点

June 1, 2011

[本稿はBiologic(研究所)の研究科学者Ann Gaugerが執筆した。ゲイジャーは分子遺伝学および遺伝工学をもちい、代謝経路の起源、機構、作用を研究している。MITから生物学のBS(学士号)、ショウジョウバエ胚発生の細胞接着分子について研究したワシントン大学から発生生物学のPhDを取得している。ハーバード大学の博士研究員として、ショウジョウバエのキネシン軽鎖をクローン化し、特性を明らかにした。彼女の研究はNature、Development、Journal of Biological Chemistryに掲載された。またゲイジャーは近日発売の映画Metamorphosis(変態)にも出演している。]

私は過去10年にわたって、あふれんばかりのデータベースができたにもかかわらず、我々が生物学についてあまり多くのことを理解していないと確信するようになった。原子のボーア・モデルを学んで原子構造を十分理解したと考える学生と似ている。手始めとしてはまずまずの近似だが、原子構造はその単純なモデルをはるかに超えるものだ。

同様に我々は、細胞が機械(ハードウェア)で構成され、そのハードウェアに何らかの形で影響を与えるソフトウェア・プログラムがDNAである、と述べたり考えたりすることに慣れている。これは細胞がいくつかの単純な化学反応に過ぎないと想像するよりは前進である。しかし、我々が生物界に見出す事実の理解としては、時代遅れとは言わないまでも、根本的に不適切であることに変わりはない。我々はもっと適切な概念カテゴリーを求めている。そして我々の現在の説明は、その成果 によって完全に不適切とみなされるようになるだろう。我々がなすべきことは、事実に追いつき、これらの現実の非常に限られた説明の仕方を凌駕していくことである。

Steve Talbottは最近のエッセイで、生物学に関する既存の思考と説明の不適切さを強調している。彼は、生命体はその機構の総和以上の存在だと指摘する。むしろ、機械的比喩は生き物の説明として完全に不適切だと退ける。生物は外部からの刺激や自らの必要性に基づいて行動を変化させながら、周りの環境に適応、応答することができる。形を変える能力を持ち、自らを構成する分子をはるかに超えた実体として存在している。自分が食べる物と同じではなく、食べる物を自分に作り変える。生物は、他の生物に由来する統合的全体である。また生物は自身のDNAを超えた存在である。細胞が自らを維持するためにDNAを必要とするのと同じく、DNAは正確に解読され、翻訳されるために機能的な細胞環境を必要とする。全体像を理解するには遺伝子のみを中心に細胞を見るのではなく、さまざまな視点から見なければならない。

生命体の中のあらゆるものに因果的な相互関係がある。生命システムのあらゆる場所に「鶏が先か、卵が先か」の問題があふれている。例えば、アミノ酸の生合成経路は、そこで作られるアミノ酸を必要とする酵素で構成されている。ATPの生合成経路はATPを作るためにATPを必要とする。タンパク質を作るにはDNAが必要だが、DNAを作るにはタンパク質が必要である。こうした例は枚挙にいとまがない。実際のところ、この問題の広がりは把握することさえ困難だ。

結局のところ、細胞システムを作ることができる唯一の存在は―驚くなかれ―細胞なのである。リボソーム、核、ミトコンドリア、ゴルジ体などを単分離で構成要素を調べることは可能だが、我々はそれらが何でできているかを理解しても作ることはできない。それらを作るには完全な細胞が必要なのである。例えば、メッセンジャーRNAをタンパク質に加工、翻訳するうえで不可欠な大型のリボ核タンパク質粒子であるリボソームとスプライソソームは、核の特定部位 で合成、修飾され、その一部が組み立てられる。そしてさらなる修飾、組み立てのために細胞質へと排出されていく。このダイナミックなプロセスには文字通 り何百もの他のタンパク質やRNAが関与していて、必要な多数のRNA-RNA間、RNA-タンパク質間、タンパク質-タンパク質間の相互作用と再編成を可能にしつつ、その間途中で立ち往生するかもしれない構築物の校正と除去を常に行っているのである。1

どのようなプロセスがこれほど相互に関連し、自己増殖的なシステムを産み出すことができるのか?ネオ・ダーウィニズムのようなボトムアップのプロセスがこのような循環型の因果 関係を持つ存在に自力で辿り着くのか?

多くの生物学者はそうだと答えるだろう。結局のところネオ・ダーウィニズム以外に何があるのか、と考えるからだ。もともと持っている機械論的、還元主義的な思考と唯物論的な前提のゆえに、彼らにはこの問題が見えないのだ。実際、この純粋に唯物論的なボトムアップ型の説明はかなり以前からあった。

私は有名な発生生物学者、遺伝学者のEdmund Wilsonが1923年にMITで行った講演の本を持っている。The Physical Basis of Life(生命の物質的基礎)という題名だ。ウィルソンは、我々が細胞の起源や機能、ボディープラン(体制)の発達などについて何も知らないと認めたが、信条として、化学に基づく純粋に物質的な説明があるはずだと主張した。

現在に至るまで、唯物主義者、還元主義者の手法は見事に成功している。細胞は生命の力や作用と違い、すり潰し、綿密に調査し、測定することができるからだ。しかし今や分子・細胞・発生生物学者たちは、解釈の仕方も分からないデータの洪水に圧倒されている。例えば、我々は未知の新種のゲノムを解読し、それがどのような生命体を産み出すかを知ることはできない。それが他のどのゲノムにもっとも似ているかを判断できるだけである。そのゲノムを持つ生命体の性質と外見を予測するには、第一に、卵と精子に対する母系・父系からの貢献、卵から成体への発達経路の全体像、さらにゲノムに生じたあらゆる変異が表現型に与えた特定の影響を知る必要がある。その生命体を取り巻いていた環境の変遷は言うまでもない。

還元主義的なアプローチのみに依存すると全体としての生命体が見えなくなる。人工品から引き出した極めて単純な比喩が、その理由を分かりやすく示してくれる。丹念に編まれたセーター、例えばアイルランドのフィッシャーマンズ・セーターを思い浮かべてみよう。そのセーターについて理解したい誰かが、結ばれていない糸の端を見つけて引っ張り始めたとする。彼はいつか原因となる結び目にたどり着くはずだと期待しながら糸を引っ張り続け、ついにセーターはばらばらになって床の上にほどけてしまう。機能的な全体としてのセーターは、毛糸の編まれ方に依存している。そのセーターを理解するには、それが何でできているかだけでなく、全体の中に存在する毛糸のパターンを見なければならない。引っ張ってばらばらにすれば、その本質が破壊されてしまう。これは稚拙な比喩だが、しばしば科学者たちはこの糸を引っ張る哀れな人物のようである。

なぜボトムアップだけでなくトップダウンで物事を見なければならないかを示すため、ある映像を見て欲しい。この映像は生きた細胞をリアルタイムで視覚化したもので、さまざまな構造(細胞小器官)が一つずつ強調されている。このサイトで視聴可能だ。

これらの細胞小器官、そして他の多くの器官も、非常に込み合った細胞内環境で機能し、何らかの方法で自身が相互作用すべき分子や構造を認識している。シグナルを送受信し、エラーを修正し、生命体全体の必要性に応じて自らの活動をダイナミックに調整している。

最後の段落に出てきた志向性のある言葉に注意して欲しい。すなわち、「機能する」「認識する」「シグナル(を送受信する)」「修正する」「調整する」などだ。これらの言葉は生物学の記述で一般 的に見られるものだ。タルボットもこの点を指摘し、その理由を説明している(強調は筆者):

遺伝子とそれに付随する無数の分子が持つ地球的な意味をそのレベルにとどまったまま理解することは不可能なので、研究者たちは“単純に遺伝子に「指示する」「伝える」「制御する」「調節する」などの自発的な能力を授けた”。さらに言えば、今日では他の分子もいかに遺伝子を「制御し」「調節している」かが、少なくとも同程度に強調されている!この機械的調節の構図は明らかに何かが間違っている。これらの含みのある言葉を使うことで、密かに、一貫性なく、そして恐らくは無意識のうちに、より高次元の統合力を引き合いに出している点にその証拠がある。これらの言葉の意味は究極的に精神に負うものであり、精神には情報を理解し、文脈化し、それをもとに制御し、全体的目標に資するよう行動する力がある。

このような言葉が意味する志向性を認識したうえで、複数の著者が生物学者らにこれらの単語を著作で使用しないよう求めた。彼らによれば、目的論(目標あるいは目的に向けられていること)または媒介者(効果 を生み出すために行動する知性)をほのめかすいかなる言葉も慎まなければならない。結局、目的論も媒介者も、現代の生物学者によって生気論とともに捨て去られてしまった。しかし目的論的な言葉は消えずに残っている。このような言葉が生物学研究で一般 的に使われているのは、生き物が目的に向かっているからかもしれない。生命システムはやはり知的な媒介者を反映しているのかもしれない。知的媒介者のみが、デザインと組み立てを行い、そして機能的な全体に向けて相互に関連する非常に多くのサブシステムを統合することができる唯一の既知の源だからである。そして、我々はこの事実を認めることで生物学をより良く理解できるようになるのかもしれない。


1Staley JP, Woolford JL (2009) "Assembly of ribosomes and spliceosomes: complex ribonucleoprotein machines." Curr Opin Cell Biol. 21: 109-118. doi:10.1016/j.ceb.2009.01.003.

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