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次第に狭い未知領域へと押し詰められるフランシス・コリンズのジャンクDNA論

Casey Luskin
May 2, 2011

無神論進化論者も有神論進化論者も共に、IDへの反対の立場を弁護するのに、「ジャンクDNA」――特にニセ遺伝子――を強力な論拠としてきたことについては、最近の私の論文(リンク)で述べた。主導的な有神論進化論者Francis Collinsは、その著The Language of God(邦訳『ゲノムと聖書』)で、そのような議論を展開し、caspase-12は機能をもたないニセ遺伝子だとして、「なぜ神が機能しない遺伝子を、まさにこんな場所にわざわざ挿入したりするだろうか?」(p.139)と問うている。Logan Cage と私は、この「ニセ遺伝子」といわれるものが、多くの人間において機能を果 たしていることを示唆する論文を引用して、これに反論した。しかしコリンズはこの本でもっと極端なことを主張している。彼は、我々のゲノムの膨大な部分(huge portions)が反復するジャンクなのだと主張する――「哺乳類のゲノムはこのようなARE(ancient repetitive elements, 古代からの反復配列)に満ち満ちていて、人間ゲノムのほぼ45%はこのようなゴミカス(flotsam and jetsam)でできている。」(p.136) コリンズは神学的な言い廻しを用いてこう書いている――「神が我々を混乱させミスリードするために、わざわざこれらの部分に、これらの無能化されたAREを置いたのだという立場でも取らない限り、人間やマウスが共通 の祖先をもつという結論は、ほとんど避けられないものだ。」(pp.136-137)

このような議論は、この種のDNAについての我々の知識の欠如に基づいているのだから、それを主張する人々にとって危険なものである。それは「穴埋めの進化」論ということになる。なぜなら生物についての知識が増えていくにつれて、いわゆるジャンクDNAの機能の、ますます多くの証拠が発見されているからである。多くのDNAが機能のない「がらくた」であり、それが進化の証拠になるという主張が、我々の知識のギャップ――科学が進むにつれて次第に縮まっていくギャップ――を埋めるのに用いられる。

しかしこのようなDNAが機能を持っていたとしたらどうなのか? もしこれらのDNAが無機能のがらくたでないとしたら、これはコリンズ自身の言葉で、デザイナーが「デザイン原理を繰り返し用いて成功した」(p.111)と考えられる、もう一つの例になるであろう。実際、コリンズに対するこの反論(リンク)で説明されているように、反復DNAの多くの機能が発見されている――

2002年、進化生物学者Richard Sternbergは文献を総当たりし、AREの機能の広範囲な証拠を見出した。スターンバーグの論文は、「利己的な遺伝子物語やその類似の枠組みは、それらが経験的証拠と齟齬するにもかかわらず、執拗に文献に現れるネオダーウィン進化論の、他の「イコン」の仲間入りをしなければならない」と結論している。スターンバーグ論文からそのまま、RE(反復配列)の既知のゲノム的/後生的役割を列挙しよう――

(13項目の機能、専門的すぎるので翻訳省略)

他の遺伝子研究も、SINE,LINE,ALU配列を含む、無機能といわれている反復DNAの機能を発見し続けている。スターンバーグは、主導的遺伝学者James A. Shapiroと共に別のところで、「将来、我々は〈ジャンクDNA〉と呼ばれていたものを、真に〈専門的な〉細胞制御仕組みの肝要な部品として考えるようになるだろう」と結論している。
(Casey Luskin & Logan Gage, “A Reply to Francis Collins’s Darwinian Arguments for Common Ancestry of Apes and Humans,”in Intelligent Design 101: Leading Experts Explain the Key Issues, 2008)

コリンズがThe Language of Godを書いたのは2006年。彼はそこで、人間と他の種との共通 祖先を証明するとする「ジャンク」DNA議論を展開しているが、その多くは、いわゆる「ジャンク」DNAが機能をもつとする多くの証拠を示すことによって、ここ(リンク)で論駁されている。

コリンズの共通祖先を証するという「ジャンク」DNA議論の多くは、より綿密な分析の結果 、大いに疑わしいか単純に不正確であることが判明した、と言えば十分であろう。

ジャンクDNA論でのコリンズの後退
『神の言語』を書いてのちコリンズ博士は、多くのノン・コーディングDNAがジャンクだと主張するのは、危険を冒すもので不正確だと気づいたようだ。Jonathan Mが主張するように(リンク)、コリンズの2010年のThe Language of Lifeは、ジャンクDNAに対してもっと柔らかい調子を取っている――

過去10年の諸発見は、一般大衆にはほとんど知られていないが、高校の生物学で教えられていたことの多くを完全に覆した。もしあなたが、DNA分子は何千もの遺伝子を含むが、はるかにそれ以上の「ジャンクDNA」を含んでいると思っていたのなら、考え直さねばならない。(pp.5-6)

これは確かに2006年のThe Language of Godで、彼が「人間ゲノムの45%はこのような遺伝子のゴミカスでできている」と言っていたのとは、大いに違っている。実際2010年の本では、コリンズはゲノムの中の「ジャンク」の量 を大幅に低く見積もっているようだ。コリンズはさらに、いかに多くのDNAがジャンクでないかを詳しく論じ、「遺伝子砂漠」がジャンクだという考えさえ否認している――

タンパク質をコードする遺伝子のエキソンとイントロンは、合計してゲノムの約30%になる。その30%のうち1.5%がコードするエキソンで、28.5%は除いてもよいイントロンである。残りについてはどうなのか? 遺伝子間に横たわり、タンパク質へと押し寄せない「スペーサー」といわれるDNAの長い断片もあるようだ。ある場合には、これらの領域は数十万あるいは数百万という塩基対にわたって延び広がり、こんな場合には、それらはどちらかといえば不要のものとして「遺伝子砂漠」と呼ばれる。しかしこれらの領域は単なる埋め草ではない。そこには、与えられた組織の与えられた発生の時期にそれがオンになるべきかオフになるべきかを、近傍の遺伝子に教えるのに必要な、多くのシグナルが含まれている。そればかりか現在我々は、これらタンパク質をコードしない、いわゆる砂漠の中を遊動する何千という遺伝子があるかもしれないことを知りつつある。それらはRNAへとコピーされるが、それらのRNA分子は決して翻訳されない。その代わりにそれらは、ある別 の重要な機能を果たすのである。
(Francis Collins, The Language of Life: DNA and the Revolution in Personalized Medicine, p.9)

とは言え、コリンズのダーウィン的観点は不動で、彼は決してジャンクDNA的な思考を棄てていないことがわかる。それは彼が、反復DNAのある特定されない部分はやはりジャンクだと曖昧な言明をしていることに見て取れる――

我々のゲノムは、いろんな種類の寄生DNAによる古い時代の攻撃の、一連の期間に挿入された反復配列を、至る所にもっている。ひと度それらがゲノムに侵入すると、これら「ジャンプする遺伝子」は自分のコピーを作り、それらのコピーをランダムにゲノムの至る所に挿入することができる。人間ゲノムのほぼ50%がこういった歴史を持っている。しかし、これはいかに自然選択があらゆる機会に働くことができるかのよい例証になるもので、これらジャンプする遺伝子のある小さな一部が、その宿主に何らかの利益をもたらすような場所にうまく着地したのである。だから我々が「ジャンク」と呼んだDNAも、そのあるものは有益なのだ。(The Language of Life, pp.9-10)

もしコリンズの言う通り、自然選択がジャンクDNAの機能を説明するとしたら、その場合それは、いかにダーウィン進化が、我々のジャンクの発見を予言すると同時に、我々がジャンクを発見しないことも予言する、よい例となるだろう。これはあまり役に立つ理論ではない。しかも上に見たように、いわゆる反復する「ジャンク」の多くは、無機能ではないという結果 が出ているのである。

最終的には、コリンズの2010年の本は、ジャンクDNAが我々のゲノムを支配しているという主張をかなり後退させたものであるのは明らかだ。彼は、コードしないDNAも「多くの重要な機能を実行することが可能だ」と認めてさえいるのである――

人間ゲノムのたった1.5%だけがタンパク質コードに関わっていることが明らかになっている。しかしそれは残りが「ジャンクDNA」だということを意味しない。人間ゲノムについての多くの興奮させる新しい発見は、我々がこの驚嘆すべき指令書の理解において自己満足的になってはいけない警告と見るべきだ。例えば最近、タンパク質をコードしない、ある種類のRNA分子全体があることが明らかになった。これらのいわゆるノン・コーディングRNAは、他のRNAが翻訳されるさいの有効性を調節するというような、多くの重要な機能を果 たすことができるのである。加えて、遺伝子がどのように制御されるかについての我々の理解は、劇的な修正を受けつつあり、これは、DNA分子に埋め込まれたシグナルと、それに結合するタンパク質が急速に解明されつつあることに現れている。この制御情報のネットワークの複雑さは、実に気の遠くなるようなもので、「システムズ生物学」と呼ばれることもある、全く新しい生化学研究の分野をも生み出している。(The Language of Life, p.293)

ジャンクDNA進化論を蒸し返すコリンズ
しかし2010年のThe Language of Lifeがコリンズの最新の本ではない。彼の最新の本は、Biologosの副会長であるKarl Giberson との共著The Language of Science and Faith であり、これは再びジャンクDNA進化論を強調している。

コリンズとジバーソンは、人間や他の霊長類(や、いくつかの非霊長類)に見られるビタミンC GULO「ニセ遺伝子」に注目し、「神が我々のゲノムに一片の壊れた遺伝子を挿入するとは、とうてい考えられないことだ」と論じている。彼らは、これこそ「データは共通 祖先からの進化モデルに合致し、共通のデザインは排除することを決定的に確立するものだ」と結論している。(p.43)

ジバーソンはまた、最近のCNN.comの署名入り記事でもこの同じニセ遺伝子を論じている――

とりわけ人間は、チンパンジー、オランウータン、マカクなど他の多くの霊長類と、  ある不幸な「壊れた遺伝子」を共有している。…いったいどうして異なった種が、同じ壊れた遺伝子を持つことができるのだろうか? 唯一の合理的な説明は、彼らが共通 の祖先からそれを受け継いだということだ。

このようにコリンズとジバーソンは、いまだにジャンクDNA進化論に執着したいらしい。しかし近年、あまりにも多くのいわゆる「ジャンクDNA」の機能の発見があったために、彼らが使える例としては、人間と他の霊長類のもつ「壊れた」ニセ遺伝子といわれるたった一例だけになってしまった。彼らがノン・コーディングDNAは「壊れている」と論ずるための未知のギャップは、劇的に縮小してしまったのだ。

最近のこのサイトのいくつかの記事にも見られるように(“Et tu, Pseudogenes? Another Type of‘Junk’DNA Betrays Darwinian Prejudices,”“Is‘Pseudogene’a Misnomer?” “‘Junk’RNA Found to Encode Peptides That Regulate Fruit Fly Development”etc.)、ニセ遺伝子は単に「壊れたDNA」だという考えは、新しい科学的発見からの集中砲火を浴びている。ジョナサン・ウエルズは新著The Myth of Junk DNAの中で、ニセ遺伝子の機能を論ずるのに丸一章をあてている。ギャップがあまりにも狭くなったので、もはやニセ遺伝子すら「ジャンク」DNAの安全な論拠ではなくなったのである。

結論
フランシス・コリンズとカール・ジバーソンは、ニセ遺伝子こそジャンクの「壊れたDNA」だという主張に、非常に大きく依拠している。実際、彼らの新しい本The Language of Science and Faithでは、このたった1つのニセ遺伝子が、共通 祖先と大進化の頼みとする証拠になっている。ジバーソンはこの主張によほど自信があるのか、最近のCNN.comの署名入り記事で、「イエスは進化を信じたであろう、だからあなたもそうすべきだ」と保証している。しかしもし歴史が我々を導くとすれば、こういう議論の仕方は危険なものだと言ってよいだろう。我々の生物学、遺伝学、生化学についての知識が増えるほど、ますます我々は、ニセ遺伝子を含むノン・コーディングDNAの機能を発見しつつある。

いずれ時間が判定を下すだろう。しかしコリンズとジバーソンが進化を主張するために、「ジャンク」DNAに関する我々の知識の、ますます狭まっていくギャップに依存しなければならないということは、我々に何かを教えるものだ。ジバーソン教授は「イエスは進化を信じたであろう、だからあなたもそうすべきだ」などと見栄を切る。しかし彼は、進化のために宗教的議論を用いるよりは、科学がどちらの方向に向かっているかにもっと心を煩わせるべきであろう。

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