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トマス・ジェファーソンをめぐる反ID論者の醜態

July 6, 2009
David Klinghoffer

何によらずIDに関することへのダーウィン信奉者たちの反応は、しばしばあまりにも馬鹿げていて息を呑むほどである。これこそ彼らの信仰に対する証拠を突きつけての反論が、彼らに全く通 じない理由かと思われる。彼らはきちんと考えようとせず、読もうとさえしない。新聞や雑誌に載った一篇の論説でも、彼らはそこに言われていることを理解もまともに反応することもできず、その人が言っているのだろうと想像することしかできないようだ。Ewen CallawayとJerry Coyneの場合を考えてみよう。

スティーヴン・マイヤーがBoston Globe紙に、ID支持者としてのトマス・ジェファーソンについて署名入り記事を書いたとき、これに怒ったサイエンス・ジャーナリストのキャラウェイは、「ニュー・サイエンティスト」誌に反論にならぬ 反論を書いた。彼はジェファーソンとIDを結びつけるのは「嗤うべき主張」だと言うが、なぜ嗤うべきなのかを言わない。彼はこう書いている――

ジェファーソンの時代のアメリカでは公立学校は今日のような形では存在しなかった。ところがマイヤー博士は、ジェファーソンがID教育――これは宗教哲学――を政府の基金による学校で行うことを支持しただろうか否かを、どこまでも考えようとしている。

マイヤーは「どこまでも考えようとしている」?(ダーウィニストがよく自陣に引き入れたがる)ジェファーソンは、ダーウィン進化論に批判的な考えを教えることを支持したかどうか、というのがマイヤーの最初のパラグラフの問題提起であり、そこから議論が始まる。(キリスト教の嫌いだった)ジェファーソンは政府の学校で宗教教義を教えることを支持しなかっただろう。しかしジェファーソンは、自然界と宇宙に見られるデザインを宗教教義として考えたのでなく、「啓示に訴えることなしに」理性によって支持される経験的な観念として考えた、とマイヤーは言っているのである。

キャラウェイは続けて託宣を告げるように「そんなことは容認しなかっただろう」、つまりジェファーソンはダーウィニズムの科学的欠陥を公立学校のようなところで認めることは容認しなかっただろうと言う。これはまともな議論ではない。これは主張でなく口寄せというべきで、キャラウェイは亡きジェファーソンになり代わり権威をもって語ることができると考えているようだ。

更に続けて彼は、マイヤーの新著『細胞に書き込まれた署名』(Signature in the Cell: DNA and the Evidence for Intelligent Design)のあげる厖大な科学的証拠を、あたかも一種のかんしゃくの所産であるかのように、軽く切り捨てている――

マイヤーは遺伝暗号が自然に進化したことを受け入れることができない。DNAとそのいとこであるRNA分子が初期の地球に、そして宇宙にさえ存在していた事実など、どうでもいいようだ。

この部分[リンク]を自分で確かめていただきたい。これはどうにも理解できない。キャラウェイはマイヤーの本に反対する根拠として、オーストラリアに落ちた隕石に「RNAを作り出すのに不可欠な塩基ウラシルと、DNA塩基グアニンの近い化学的親戚 であるキサンチン」が含まれていたことをあげている。しかしDNAについて神秘的なことは、こうした塩基が、そもそもどうやって情報を担うのに要求される特殊な配列になったのかということである。これが生命起源の謎である。これこそ唯物論科学が答えることのできない、そしてインテリジェント・デザインが少なくともある糸口を与えている問題の全体である。勝ち誇ったようにこの隕石のことを持ち出すのは、まるで赤ん坊が文字札の入った箱を与えられているのを指して、これによってこの子が今からジェファーソンに匹敵する本を書き出すのは明白だ、だって必要な文字がすべて揃っているのだから、と言うようなものである。

しかしキャラウェイは脇におくとしよう。彼はサイエンス・ライターにすぎないのだから。もっと驚かされるのは、シカゴ大学の生物学者で『なぜ進化は真実なのか』を書いたジェリー・コインの怠慢である。

ほとんどの人々にとってダーウィン進化論を信ずるのは信託のようなもので、彼らはメディアと学者を信じているのである。しかしこれほどいい加減なことを書く学者を誰が信ずるだろうか。コインは彼のブログで「若い地球創造論者」スティーヴン・マイヤーを攻撃しようとしている。言うまでもなくマイヤーはそういった者ではない。それは『細胞に書き込まれた署名』(p.17など)にも他の場所にもはっきりと、宣誓の形でさえ述べられている。マイヤーはDNAの情報は38億5000万年前に遡ると考えているのである。

こういった人たちの症状はほとんどアルツハイマー病だ。私にはeメールでやりとりしているダーウィニストの相手がいるが、彼は私が「若い地球」信者でないことがどうしても理解できないらしい。彼は何度もそのことを私に尋ね、私はその度にそうでないと返答しなければならない。それからしばらくするとまた訊いたことを忘れて言う――「あなたは本当に地球と宇宙が6千年の歴史しかもたないと信じているのか?」と。

2005年、コインは「ニュー・リパブリック」紙に、騒動の種となったProceedings of the Biological Society of Washingtonのマイヤー論文を一蹴するような記事を書いた。これはその編集者であったスミソニアンの進化生物学者スターンバーグが、同博物館の監督や同僚によって処罰されることになった例の論文である。コインは真面 目な科学者として、査読付きの専門雑誌に発表された論文を、読まないで引用することはないと考えたいものだ。この論文でマイヤーは、生命は非常に古いものだという彼の見解を明らかにしている。これは何しろ5億3千万年前に起こったカンブリア爆発について書かれた論文である。

ところがコインはこれをすっかり忘れて、信じられないというようにマイヤーに尋ねた、「6千年の歴史しかもたない地球もまた“地質学的データからの推定”なのか?」と。あとで加えられた訂正とお詫びで、コイン博士は、頭が混乱していてスティーヴ・マイヤーを別 の名前と別の信仰をもった全くの別人と取り違えていたと説明した。こういったことが起こったときの心の痛みは理解できる。

しかしもっと広い意味でコインは、マイヤーが(ボストン・グローブ紙の)簡潔で単純な、明晰に書かれた署名入り論説で言っていることについて頭が混乱しているようだ。彼はこれを「権威からする議論」と呼び、あたかもスティーヴがジェファーソンという権威に、現代のIDの科学的根拠を求めようとしているかのように言う。これは馬鹿げた話である。しかし肝心のポイントは歴史的かつ哲学的な問題である。ジェファーソンは、自然はデザインされたものだと信じていた。彼はこれを、聖書ではなく、理性と観察に基づいて信じていた。彼はクリスチャンではなかった。実を言えば、彼はキリスト教があまり好きではなかった。しかし彼は「自然の神」を信じ、神は自然の証拠を通 じてあらゆる人が知ることのできるもので、神は我々に「一定の譲渡することのできない権利」を与えたと考えていた。

だからジェファーソンの科学が正しかったか否かに関わらず、我々は我々自身の自由の淵源を彼の思想に求めることができ、この考えは今日では「インテリジェント・デザイン」と呼ばれているが、その呼称よりはるかに古い時代からあった、知的な樹から生じた枝である。それはダーウィニズムがエピクロスにまで遡るように、プラトンやアリストテレスにまで遡ることのできる思想である。マイヤーの言おうとしたのはこうである――もし独立宣言を是認するなら、インテリジェント・デザインに感謝すべきだ。ダーウィニズムの影響下では、このような崇高な文書は現れなかっただろう。他のよくできた書きもの――例えばH. P. Lovecraftの短編小説のような――は現れることができただろうが、独立宣言は現れなかっただろう。

コインは更に続けて、スティーヴン・マイヤーの議論を「穴埋めの神」だと決めつける。スティーヴの本は――その議論の内容にこの記事は簡単に触れているだけだが――言うまでもなく「穴埋めの神」議論などではない。しかしユーウィン・キャラウェイやジェリー・コインのような人々は固定観念を持っていて、彼らはそれに絶対に忠実でなければならない。IDを支持するいかなる議論も「穴埋めの神」でなければならない。本を開いてみるまでもない。そうにきまっているのだ!

それはちょうど、現実の生活ではどんなに活動範囲が広くても、夢の中で戻ってくるのは常に5歳の時に住んでいた懐かしい家である人のようなものだ。コインは果 たして頑張って目を覚まして、マイヤーの書いたような新しい真剣な本を読み、その論旨と証拠を考えてみる間だけでも、眠らないでいることができるだろうか? おそらくできないだろう。違いますか、コイン博士?

コインのブログの中に、一つだけいいアイデアがある。彼は、マイヤーの必然的に短いジェファーソンからの引用について、カッコ書きで「この引用文のコンテクストが知りたいものだ」と述べている。

あなたのご希望は私の懇請でもある。私たちは、ジェファーソンのインテリジェント・デザイン支持がなお一層明白となる、彼のアダムズへの手紙の全文を引用してお目にかけようと思う:――

私は(啓示に訴えることなしに)、我々が宇宙を、個別 的あるいは全体的に眺め渡したとき、人間精神がデザインと完全無欠な技量 と無限の能力を、その構成のあらゆる小部分(atom)に認めてこれを確信しないでいることは不可能だと考えます。その求心力・遠心力のバランスによってこれほど正確にコースを保っている天体の運動、また地球そのものの構造――陸地や海や大気がうまく配分され、動植物があり、そのすべてが生命の最小部分である昆虫のような微細な部分まで細かく調整され(examined)、しかも人間やマンモスと同じくらいに完全に組織化されている、またさまざまな鉱物が生成され利用が可能な――そういった地球の構造を考えるとき、もう一度繰り返しますが、人間精神がそういったものに、究極の原因に行きつく、デザイン、因果 関係、物質とその動きの、すべての造り主(fabricator)の存在、それらが現在の形を保っている間はそれを保存し調整し、そしてそれらを他の新しい形態へ生まれ変わらせる者の存在、これを認めないわけにはいかないだろうと私は考えます。我々はまた、宇宙の動きと秩序を維持するある監督者の力が要請される、歴然たる証拠をも認めます。よく知られている星々が消え、新しい星が現われました。コースの計算できない彗星が太陽や惑星に衝突して、他の法則のもとに新しく作り直さなければならないかもしれません。ある種の動物は絶滅しました。だからもし回復させる力というものがなければ、すべての存在するものは次々に消えていき、最後にすべてが無形の混沌状態に陥るかもしれません。インテリジェントで力をもつ作用主体(Agent)の、これらの証拠はあまりにも抗えないものであるために、過去すべての時代を通 じて、少なくとも百万という単位の人々が、自然の力で存在する宇宙という仮説よりも、あらかじめ存在する永遠の創造者という仮説を信じてきたのです。確かにこうした全員一致の感情は、少数者の信ずる他の仮説よりも、この仮説の確かさを強めるものです。

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