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ダーウィニズムを根拠とする優生学
[書評]John G. West: Darwin Day in America, 2008

By: Anne Barbeau Dardiner
New Oxford Review
September 1, 2008

この本のタイトル「アメリカにおけるダーウィン記念日」は、2月12日をアメリカの学校で“ダーウィン記念日”にしようという最近の動きからきている。ディスカヴァリー研究所の上級研究員であるジョン・G・ウエストは、科学的唯物論というものが、どの程度までアメリカの政治や文化の基礎をなしてきたか、それが民主主義にとっていかに危険なものであるかを、ここで明らかにしている。

科学的唯物論を古代から18世紀まで手短に概観したあと、ウエストは、ダーウィンの『人間の由来』(1871)の深層の分析を試み、この著作がいかに現代の科学的唯物論の基礎となったかを明らかにしている。ウエストの指摘によれば、ダーウィンは「人間と高等哺乳動物の間には基本的な頭脳の能力の差はない」と言い、人間だけのものと考えられている能力――抽象的思考や自意識など――は動物にもあると主張している。

第二にダーウィンは、我々の道徳的能力は、我々の生物学的性質に根ざした社会的本能に基礎付けられており、こうした社会的本能は自己保全や情欲のような反社会的な本能より強いものではないと主張した。したがってダーウィンは、倫理の恒久的な基礎を否定したのである。後に『人間の由来』のなかで彼は、最初の人間はおそらく重婚をしていたか、相手の違う単婚を続けたかであろう、だから結婚は生存闘争の結果 であったと明言している。したがって人類は「性関係のいかなるすぐれた形をも持たず」、家庭生活のいかなる神聖な形態も持たなかった。

第三に、ダーウィンは優生学への道を開いた。実際、彼の近親者たちは早急にこの運動に巻き込まれていった。息子のジョージとレナードはこれを推進する活動家となり(レナードは「大英帝国の主たる優生学グループである優生学教育学会の会長」であった)、いとこのフランシス・ゴールトンは、「優生学クルーセイド(社会運動)」の創始者となった。ダーウィンが優生学の支持者であったことは明らかである。彼の弟子Mivartが「優生学を支持する息子ジョージの論文を批難した」とき、この弟子との「絶交」を宣言したダーウィンの文書を、ウエストは引用している。

ダーウィニストは常に、進化論と優生学運動の間に距離を置こうとするが、ダーウィンは『人間の由来』のなかで、いかに「野蛮人」の間では「体や心に弱点のある者は早急に排除される」かをよいこととして、また、文明人の間では「白痴や片輪や病人のために施設を作り、その結果 、文明社会では弱者がその同類を増殖することになる」のを悪いこととして書いているのを、ウエストは引用している。更に加えてダーウィンは、人間を家畜になぞらえ、「家畜の品種改良に立ち会ったことのある者なら誰でも、こうしたことが人間という種族にとって、高度に有害であることを疑わないだろう」と言っている。こう言ったあとで、彼は弱者への同情のリップサービスをしているが、そのような同情は人間種族の生き残りのためになるものではないと匂わせている。

ダーウィンはまた、「無思慮で堕落した、しばしば邪悪な、社会の構成員が、思慮深く、総じて美徳をもつ構成員よりも高い率で増大する傾向がある」ことを嘆いている。彼は晩年のアルフレッド・ウォーレスとの対話でこの話題に戻り、「人類の将来について非常に暗鬱な調子で」話している。なぜなら「我々の現代文明においては、自然選択が働かず最適者が生き残らない」からである。(「最適者の生き残り」はハーバート・スペンサーの造語だが、ダーウィンはこれを自然選択の「正確な」表現だとして、喜んで取り入れている。)

優生学がダーウィニズムを根拠としている事実は、ウエストによれば、しばしば見えにくくされている。しかし優生学者がダーウィン生物学から直接「インスピレーション」を得ていることは事実である。20世紀初期の主立った優生学者の多くが、自然選択は彼らが人類を改良するために従う「法則」だと宣言した。そればかりか、アメリカの優生学主導者たち――彼らはハーヴァード、プリンストン、コロンビア、スタンフォード、自然史博物館などに関係する「多くは大学教育を受けた生物学者や博士であった――は、優生学を生物学的に「正当化された」ものとする見解を表明していた。

1920から1939年の間に、ダーウィンの理論は、高校の生物教科書で優生学を称揚するために絶えず用いられていたが、このことは、いかに主流科学が人口統制のこの形を受け入れていたかを示すものだ、とウエストは言っている。ダーウィニストの学校教師ジョン・スコープスが、あの不名誉な「サル裁判」の前にテネシー州の高校で使っていた本は、G. M. HunterのCivil Biology(『市民の生物学』1914)だが、これはダーウィンを根拠にして優生学を推進する風潮に従うものであった。ここでハンターは、社会の「寄生虫」について語り、もし彼らが「下等動物であったなら、彼らが繁殖するのを防ぐために、きっと殺されてしまうだろう」と書いている。

今日、学者たちは、優生学の破壊的な暴走を政治家の責任だとしているが、ウエストは、この運動は「科学者が思い上がった科学的専門知識に基づいて、政府の社会政策を支配しようとした運動」だったというのが、より正確であろうと言っている。これは科学者が「国家権力を社会的な問題にまで拡張する」のに科学を用いた初めてのケースであった。

学者たちはまた、『人間の由来』から引き出した人種差別 を是とする、優生学者の議論に対して目をつぶっている。ダーウィンはこの本で、進化における人間と類人猿の分け目は、「ニグロあるはオーストラリア人とゴリラの間にある」と明言している。ウエストによれば、ダーウィンが黒人は「人間進化のより原初的な段階に属する」と言ったことが、(黒白)雑婚禁止法を含めて、人種差別 的な公共政策の強力な科学的合理化を、やがてもたらすことになったのである。

ダーウィン唯物論の刑法に対する影響はまた致命的なものであった。1876年、イタリアの犯罪学者Cesare Lombrosoは、犯罪者とは「ダーウィン進化のより早い段階への先祖返り」であると論じ、1924年にはClarence Darrowが、すべての犯罪者は「彼らが制御できない物的な力によって犯罪へとプログラムされている」と論じた。優生学者は、犯罪的傾向というものは遺伝するものだと信じていたから、犯罪者を生み出すグループの繁殖を抑えようと努力した。1930年代初期までに、合衆国の30の州が断種(不妊)法を制定し、1958年までに、約6万のアメリカ人が断種(不妊)手術を受けたが、その多くは強制によるものだった。最高裁裁判官オリヴァー・ウェンデル・ホームズがヴァージニア州の強制断種法を認可したとき、彼はそれは「人種を形成する」ための方法だと言った。その後1930年代に、ナチスが「不適者」を強制的に断種したとき、彼らはアメリカ人に倣って「生物学的原理」に則って行動しているのだと言った。ヒトラーは、自分はいくつかのアメリカの州法から、その繁殖が「人種全体にとって有害な」人々の断種を学んだ、とさえ言った。

ナチスが利用したことによって、優生学が信用をなくしてからは、アメリカの指導的優生学者は、人口統制の方法として、避妊と人工中絶へ方向転換した。1953年に彼らは、「親になる選択の自由――積極的優生学計画」と題する文書を出版し、そこで彼らはいわゆる「親になる選択」を自然選択に結びつけた。戦術は新しかったが原理は同じだった。ウエストは、マーガレット・サンガーの孫であるアレックス・サンガーが、2004年に人工中絶のダーウィンに基づく弁護をして、こう言っているのを引用している――「中絶はよいことである」、だから「我々は自分の子を残すことをコントロールするようになったことに誇りをもたなければならない。これこそ人間の進化と生き残りを推進する大きな要因であったのだ。」

ダーウィンの科学的唯物論は、政治理論にも性的習慣にも浸透した、とウエストは述べている。マルクスとエンゲルスは、ダーウィン理論を「歴史的階級闘争のための自然科学的根拠」として取り上げ、それは弁証法的唯物論という公的なソヴィエトの教義の中に取り込まれた。ウッドロー・ウィルソンは1912年、アメリカ合衆国建国者たちの憲法概念はあまりにも静的すなわちニュートン的であると言い、政治は今や「ニュートンでなくダーウィンに従わなければならないのだから」、憲法は今後は「ダーウィンの原理にしたがって」解釈されなければならないと言った。我々はそれがどういう結末になったか知っている。

性的習慣についていえば、『人間の由来』における「人間の交尾行動」を「哺乳類の生物学」の一部だとするダーウィンの説明は、[過激な団体である]SIECUS(Sexuality Information and Education Council of the U. S.「合衆国性情報・性教育協議会」)や「家族計画」(Planned Parenthood)によって支持されるような、性教育計画へとつながっていった。そこでは5歳の子供が、マスタべーションや同性愛は間違った選択ではないと教えられるのである。

ダーウィン理論に疑いを表明する科学者たちに示される敵意は、「いくら誇張してもよいほど」だとウエストは述べている。科学的根拠に基づいて警告をする人々でさえ“タリバン”とレッテルを貼られ、科学に宣戦布告をする者だと言われる。教師のある者は、ロジャー・デハートのように、出版されている科学的なダーウィニズム批判書を学生と一緒に読んだという理由で、恫喝され沈黙させられている。デハートは学生に、いかに生物教科書がいまだにエルンスト・ヘッケルの疑似科学的な図を用いているかについての、スティーヴン・J・グールドによる論文を示したのであった。これらの図は、お腹にいる子供が魚から哺乳類へと進化の過程を「反復」することを示すもので、中絶を弁護するために用いられているのである。「自分たちへの反対者を危険な狂信者として弾劾する」ダーウィニストのやり方が、あまりにも「強迫観念」的なので、各州は法律を制定して、「ダーウィン理論の科学的批判を教える」教師の権利を保護しなければならないほどである。

あまり遠くない昔、社会政策を推進した主流の科学者たちは、人口統制のために優生学を奨励したダーウィン唯物論者であった。これらの「専門家」は今では完全に信用をなくしている。今日、社会政策を推進している主流科学者は、いまだにダーウィン唯物論者である。ただ彼らは、人口統制の別 のやり方(と名称)を用いている。これらの専門家は、「科学者が一番よくものを知っており、したがって政治家や一般 人は、科学者の政策見解を盲目的に受け入れるべきだ」と考えられているのだから、自分たちは一般 人の詮索から超然としているのが当然と考えている。その危険は、もし彼らが一般 人の吟味詮索を避けるならば、我々はやがてデモクラシーでなくテクノクラシー(技術家政治)の社会に生きることになることである。なんと恐るべき反ユートピアか――我々残りの者たちは囲われた家畜の群れにすぎず、自分たちは無謬の、選挙によらない主人として支配すると考える科学的唯物論者を頭に戴くとは! 

『アメリカのダーウィン記念日』は、徹底的な事実調査に基づき(注は100ページに及ぶ)、読みやすく流暢なスタイルで書かれた、きわめて推奨に値する本である。

(アン・バーボウ・ガードナーは、『ニュー・オックスフォード・レビュー』誌の寄稿編集者、ニューヨーク市立大学ジョン・ジェイ・カレッジの英文学名誉教授。ドライデン、ミルトン、スウィフト、17世紀カトリック教徒などについて著作がある。)

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