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私の見たベン・スタイン映画『追放』

By: Bruce Walker
American Thinker
April 20, 2008

ベン・スタインの新しいドキュメンタリー映画Expelled は、我々の報道・情報・教育の諸機関を通じてひそかに侵入しているように見える全体主義の新しい暗黒時代に関心をもつ、あらゆる人びとが観るべき映画である。おそらくスタインだけが、科学者、ジャーナリスト、その他の職業の人びとが被った、この悪夢のような迫害の実態を正しく描くことができたであろう。それは彼らが、ほとんど理解できないほどに複雑で精巧な生きた細胞が、自然選択という愚かしいメカニズムによって進化したものだという、次第に信用されなくなっていく説に、疑問を投げかけたことによって受けている迫害である。

この古色蒼然たるダーウィン進化論の自動人形的な番人の憎しみを受けるのは、正直で偏見をもたない思想家――そこにはキリスト教徒も、ユダヤ教徒も、不可知論者もいる――だけではない。憎しみの対象となるのは、偉大な創造者という観念そのものである。これら憎しみをもつ人びとは、たとえ間違っていてもダーウィニズムは真理でなければならないと確信しているだけでなく、これによって道徳を解体し、人生そのものを無意味な営みに還元しなければならないと確信している。

これら憎しみをもつ人びとは、知的テロリズムによって個人の経歴を破壊することに、良心の呵責を感じていない。彼らはまた、導かれた進化という考え方の長所を、議論の余地のないものとして一蹴し、テロリズムの犠牲者は学者間で、明らかに不正な処遇を受けている。スタインは、将来有望な教授にテニュア(終身在職権)を拒否したり、テニュアを持つ教授を不当に扱ったりする学界のゴロツキたち(academic thugs)の手による手紙を観衆に見せ、それによって、彼らの「専門分野における力量 不足」という公式説明が見え透いたウソであることを示してみせる。

科学は科学ではなくなっている。それは単に、学界や研究基金財団の代表に対して、人間を神とするニヒリズムの中心原理を、呑み込ませようとする努力にすぎない。スタインは怖れることなく、このニヒリズムをその究極の結果 にまで追究し、それがナチスによる心身障害者の「慈悲による殺し」や、同じくナチスの「劣等種族」としてのユダヤ人根絶を導いたことを、ダッハウの陰惨な通 路を歩きながら示している。

この醜いつづれ織には、多くの糸が織り込まれている。マーガレット・サンガーと「家族計画(連盟)」は、普通 のアメリカ人にはすぐれたものに見えたが、これはヒトラーとよく似た思想であり、ヒトラー以前に、それ以外の点では優秀なアメリカ人たちが、その基本思想においてヒトラーと変わらぬ 、恐ろしい社会計画を立てていたのであった。しかし選択的育種による人間改良の思想は、サンガーやヒトラーの前に存在していた。ベン・スタインは、直接ダーウィンの『種の起源』からの引用によって、ダーウィンにとって人間とは家畜と変わらぬ 動物であり、「科学的」方法による人類の改良を推奨していたことを明らかにしている。

スタインは、この種の人間の生命と人生の目的に対する悪意を弁解するための、よく知られた逃げ道を閉ざしている。ヒトラーは自分のやっていることが分かっていたのだろうか? 彼は間違いなくダーウィニズムを丸呑みにしていた。そして「最適者生存」を道徳原理(あるいはむしろ無道徳原理)として捉えていたことが、『わが闘争』のあらゆる頁から踊り出す。ヒトラーは無知だったのではない。しかしもっと重要なことに、彼は狂っていたのではない。彼は悪だったのだ。

これは『追放』を通じて、冷たい黒い伏流のように流れる最も暗いテーマである。悪は実在する。明らかに実在する。ホロコーストが悪ではないと言うつもりでなければ――そして、スタインのインタビューした一部の者はそう言いたがっていた――悪は実在する。他の者たちに脅しをかけるために真面 目な教授を首にし、その上で首にした理由をいつわることが悪でないと言うつもりがないならば、悪は実在する。科学の旗印の陰に隠れて真理を隠蔽し、科学そのものの進歩を阻害することが悪でないと言うつもりでなければ、悪は実在する。

我々の人生はこれまで、科学のウソに首まで漬かっていた。男と女は交換可能な部品である、と科学者はかつて言った。これはフェミニストの要求する現実が、そのようなウソを必要としたからである。何百万という男や女が、あの疑似科学的な神学の祭壇のいけにえにされてきた。毎日のように、より多くの拷問が政治的神学の僧侶たちによって考え出されているが、それは神話的な地球の警告を、復讐心に満ちたアズテクの神か何かのように鎮めなだめるためである。科学と呼ばれてきたものは、ますます不毛な、面 白みのない神学になりつつある。

いくつか注文をつけるならば、例えば、自然選択による進化の典型的な例のようになっている、蛾のいわゆる「工業暗化」現象は、進化の証明になどならないことを、スタインに指摘して欲しかった。白い蛾も黒い蛾も同じ一つの種なのである。

またスタインには、今日我々が科学と呼んでいるものすべてが誕生した、深く宗教的であった中世の大学の意味について、もう少し踏み込んで欲しかった。宗教は科学と両立できないなどということはないだけでなく、科学にとって宗教は不可欠なものであることを示すためである。

しかしこれは、ないものねだりの批評であろう。『追放』は傑作である。見るべきである。あなたの周囲の友人にも教えるべきである。とりわけ、あなたの子供たちに見せるべきである。

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