Discovery Institute News

学問の自由と自由な科学的探究

By: David Klinghoffer
Des Moines Register
June 2, 2007


アメリカ人は自分たちの大学を、拘束されない真理の探究のための安全な場所であり、そこでは終身在職権をもった教授たちが、何の遠慮もなく知識の境界を押し広げることができると考えている。この大学像は魅力的だが、それが間違いだとわかるのは、例えば「宇宙は意味をもっているか」といった大きな問題が学問的に考察されるときである。

アイオワ州立大学の天文学者ギエルモ・ゴンザレスに、それを尋ねてみるがよい。彼に降りかかった災難は、学問研究に制限のあることを例証する寓話のような話である。そしてこれはアイオワ州立大学に限らない。天文学の研究で記録を作ったにもかかわらず、ゴンザレスは、科学的データが宗教的な意味合いをもつという見解を表明したために、職を追われようとしている。

2004年、ゴンザレスは『特権的惑星』という共著の本を書いた。彼の主張したのは、この地球上の生命と、宇宙について科学的発見をする我々の能力は、多くの確率的にありえない惑星の諸条件に依存していて、これは宇宙の偶然ではなく、何らかのインテリジェンスによるデザインを示唆するものだということである。

ゴンザレスは今まで、このことを学生に教えたことはない。しかし、もし彼や共著者のジェイ・リチャーズが正しいとすると、天文学者の故カール・セーガンが、「我々人間は宇宙で特権的位 置を占めているという思い違いをしている」といって笑ったとき、彼は間違っていたことになる。

ゴンザレスはこの春、アイオワ州立大で終身在職権の認定候補に上がった。ここでは91パーセントの同認定候補が2007年には認められている。同じ時期に、宗教学の教授へクター・アヴァロスが、彼の2005年の本『喧嘩の言葉――宗教的暴力の起源』(Fighting Words: The Origins of Religious Violence)で述べた、乱暴な反宗教的な言葉にもかかわらず、完全教授職に昇任している。この本は、聖書をヒトラーの『わが闘争』に比較して貶めたもので、アヴァロスは「『わが闘争』には、ヘブライ語の聖書の書かれているような、たった一つの明白な民族抹殺の命令も書かれていない」と述べている。

しかし過激であるとみなされたのはゴンザレスであって、アヴァロスではなかった。2005年に、120名のアイオワ州立大の教授会メンバーが、名指しこそしないがゴンザレスを標的にし、IDを弾劾する意見書に署名をした。

インテリジェント・デザイン(ID)とは、デザイナーが自然界の進化を導いたとする主張を内に包んだ言葉である。しかしゴンザレスの研究は天文学であって、生物学ではない。この研究において彼は異彩 を放っている。

アイオワ州立大物理・天文学部の終身在職権の基準には、候補者の研究発表記録が含まれている。スミソニアン/NASAの天体物理学データベースによれば、ゴンザレスの2001から2007年にかけての科学論文は、他の科学者による引用の頻度という評価基準によると、彼の学部の天文学者の中で最高位 にランクされている。彼は68篇の査読を受けた論文を発表しているが、これは彼の学部の定める終身在職権の要件を350パーセントも上回っている。彼はまた共著として標準的天文学教科書を書いていて、これが学部の同僚によって用いられている。

彼は研究助成金を十分に得なかったと言う者もあるが、彼の学部の公表規定によれば、助成金獲得は評価の項目にはない。

これまでのところ、この大学のトップである教務部長Elizabeth Hoffmanは、ゴンザレスの言論の自由を擁護する介入をしていないが、これは興味あることである。なぜなら、彼女の前職はコロラド大学学長であり、そこで彼女はもう一人の包囲攻撃された教授Ward Churchillの、ものを自由に書く学問の自由を擁護したことがあるからである。

チャーチルは、9.11テロの犠牲者の死を、世界貿易センターで働いていた人々を「小さなアイヒマンたち」と呼んで、当然だとするエッセイを書いたことで有名な男である。

アイオワ州立大の位階制をなす教授たちが、ゴンザレスの件を学問の自由に対する挑戦と考えないとすれば、我々の時代のコンテクストがその理由を説明する。

ベストセラーのリストに無神論者の本がずらりと並び、大学人のほとんどの者が、生物学におけるインテリジェント・デザインという異端におののいているという現状では、ゴンザレスの同僚たちは、宗教に対する支持の様子を少しでも見せたら、彼らの威信に傷がつくと考えねばならないのであろう。

アイオワ州立大をはじめとする時代遅れの大学では、そういった様子を示す者は仲間はずれにされるが、それは彼らが、単に9.11の犠牲者をナチスにたとえたり、聖書をヒトラーより邪悪な本だという人間に比べ、よほど許しがたい存在だからである。大学教授というものの不思議な世界では、そういうことになっている。

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