Discovery Institute News

裁判官のACLU文書丸写し
―「ひどく眉をひそめる事態」上級裁判所、法学者見解

By: Staff
Discovery Institute
December 13, 2006

連邦裁判官John Jonesによる原告側弁護士からの文書コピーというひどい事件は、このような事態は綿密に調査すべきだという法学者たちの批判を引き起こしている。

昨日公表されたディスカヴァリー・インスティテュート(DI)の報告書によると、ドーヴァー裁判の広く注目された判決において、判決文の肝要な部分がACLU(米国自由民権連合)弁護士による文書のほとんど逐語的なコピーであったことが判明した。

「DIは、ジョーンズ判事のこのきわめて問題のある行為を指弾するのに、十分な根拠を持っています」と、「法と政策センター」の弁護士Bruce Greenは言った。「この段階で法的問題が生ずることはないとはいえ、裁判官が一方の当事者の報告と結論を、公判録に示された独立した調査もなしに、そっくりそのまま採用するということは、連邦裁判官の間ではひどく眉をひそめる(highly frowned upon)事態です。」

ディスカヴァリーの弁護士Casey Luskinは、裁判官は両当事者の提出する事実報告の利用を認められているという研究所による調査の説明を受けたという。「しかしそれは、そういう行為が上級裁判所によって、好ましいものとみなされているということではありません」とラスキンは言う。「実際、ペンシルヴェニア州のすべての連邦裁判所を支配している第三巡回裁判所は、訴訟における当事者の事実報告を、単純に『逐語的あるいはほぼ逐語的に』取り入れることを裁判官に禁ずる強い判例法を持っています。」

ラスキンは2005年の第三巡回裁判所の「北ヴァージニア・コミューニティバンクに関する裁定」を引用した。それは、裁判官が訴訟当事者の趣意書を『逐語的あるいはほぼ逐語的に』利用することは『強く非とされる』(highly disapproved of)ことを規定している。2004年には、「ブライト対ウエストモーランド郡」裁判においてもまた、第三巡回裁判所は、当事者の一方の勧告を一方的に採用した裁判官に対して、以下のような強い言葉で臨んでいる:

裁判官所見は裁判官の中核的な仕事の成果 である。それは事実報告や法の結論以上のものであり、なぜ裁判官がある特定の判断に至ったのかを論理的・分析的に説明するものである。それは訴訟当事者にとって、裁判官がいかに彼らの主張や議論と格闘し、彼あるいは彼女自身の理性と論理に基づいて、学問的決定を下したかの手ごたえある証拠となるものである。法廷が一方の当事者の提出した意見を自分のものとして採用したときには、その法廷は裁判官所見によって果 される肝要な目的を無にすることになる。したがって我々は、この訴訟において地方裁判所の取った行為を容認することはできない。

「合衆国最高裁判所にさえ、この行為を禁ずる文言があります」とラスキンは説明した。「ある1964年の最高裁裁判では、当事者の一方の事実報告を逐語的に採用した裁判官に対し、『地方裁判官の考えた内容を表わすものでない』と指摘し、事実報告がこの地方裁判所によって『機械的に採用された』と言っています。ニューオーリンズの公立学校の差別 撤廃で有名な連邦上訴裁判官、故James Skelly Wrightが裁判官たちに、弁護士の議論を包括的に取り入れることを避けるように指導した次の言葉は、合衆国最高裁によって好意的に引用されています:

私が皆さん方に強く忠告したいのは、出来うるかぎり、弁護士があなた方の鼻先に突きつけることを単純に認めることを避けよ、ということである。これら弁護士は当然のことながら、主張の熱心さと熱烈さをもって、こうした事実報告では可能なかぎり自分の側のために述べようとする。こうした報告が法廷の場に入ってきたときには、裁判所がその裁定を下した理由を決定する上においては、それが書かれている紙切れの価値もないのである。

同様に、ある1985年の判決で最高裁は、「我々もまた裁判所が、勝訴した側の提出した事実報告を逐語的に取り入れることを厳しく批判してきた。特にこうした報告が、証人喚問による支持のない結論的な陳述の形を取っているときには、なおさらである」と述べている。

AP通信によれば、フォーダム・ロースクールの「ルイ・スタイン法と倫理センター」のある法学者は、「一方の側の提出した報告書を逐語的に採用するなど、裁判官の常識に反すること」と認めている。

最新情報INDEX

 

創造デザイン学会 〒107-0062 東京都港区南青山6-12-3-903